「敏感」と「過敏」。ともに敏感ではある。違いは、過ぎるか過ぎないか▼敏感は世界を広げる。足りないところや変化に気付くのは敏感。敏感な人たちがいろいろと気付いた結果、道具は便利になりサービスは充実し経済は活性化し、社会は暮らしやすくなった▼けれど、それがさらに突き詰められると、やれ、あれは危険だこれは迷惑だ不謹慎だとなり、規制しろ義務付けろやめさせろとなっていく。こうなると、敏感すぎる。過敏は世界を狭めていく。それを「あら」であるとか「重箱の隅」であるとか判断する基準は「常識」なのだが、その常識も、時とともに変わっていく。今は過敏が常識の時代なのかもしれない▼草津白根山の噴火から半月がたった。近くの草津温泉郷では宿泊キャンセルが相次ぎ、町をあげて誘客と安全性のPRに乗り出しているようだ。まあ桐生にいるよりは直接的な危険もあろう。けれど今のところ小康状態を保っているし、いざとなれば避難経路さえ確認できていればそう大ごとにはならなかろう、とは思うが、過敏が常識の時代にはそれを主張するのも難しい▼自分は単に、寒そうだし、雪で足元がおぼつかなそうだから、今は行かない。そんなもんである。(篤)
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