東日本大震災から11日で7年がたつ。震災や原発事故で友人と離れ離れになった福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の生徒と音楽教諭が作った合唱曲「群青」。その歌詞と曲に心動かされた桐生人が先日、作者の思いを聞こうと被災地を訪ねた。そこで当時の同中卒業生が桐生に避難したことを初めて知る。小高と桐生をつなぐ不思議な縁。桐生人たちは25日、復興支援コンサートを桐生市内で開く。被災地の思いを乗せて「群青」を歌い上げるつもりだ。
「『またね』と手を振るけど/明日も会えるのかな」「当たり前が幸せと知った」「響けこの歌声/響け遠くまでも/あの空の彼方へも」「また会おう/群青の街で」
故郷や家族、友人を一瞬にして奪い去った震災。その約2年後に被災生徒の思いを込めて作られた「群青」は、復興支援ソングとして多くの場所で歌い継がれている。
コンサートは、音楽を通じて被災地支援を続ける「桐生EBISU合唱団」(飯嶋浩一団長)の主催。被災地にゆかりのある多くの演奏家を招くほか、桐生市近隣の市民や中高生を含め200人以上が出演する。
「群青」の作者に会いに行こうと思い立ったのは、同合唱団を指導する桐生市在住の声楽家・深津素子さん。コンサートで歌う前に、どんな思いでこの曲が作られたのかを直接感じたかったからだ。
きっかけは小高中(合併前の旧福浦中)出身で桐生市在住の知人・飯沢ヨウ子さん(64)。南相馬市教育委員を務める飯沢さんのいとこを通じ、「群青」を作った音楽教諭の小田美樹さんと会うことになった。
気になる教え子は
深津さんや飯沢さんら桐生一行が、南相馬市小高区を訪問したのは1月下旬。小田さんは会って早々、「桐生には気になる教え子がいるんです」と話し始めた。
小田さんは震災当日、小高中3年の担任として卒業式に臨んだ。その卒業生の1人の少年が桐生に避難したという。その名を聞いて驚いた飯沢さん。自分を頼って桐生に避難した義妹のおいだった。
その少年の一家は、津波で家族4人を失って桐生に避難してきた。それから7年。少年は新しい仲間とともに桐生の高校を卒業し、近くの専門学校で医療関係の資格を取り、群馬県内で元気に働いている。
教え子が群馬で活躍していると聞き、小田さんもうれしそうだったという。一行は昨春再開した小高中や群青色の海を見下ろす高台を訪れ、「群青」ゆかりの場所を回りながら曲への思いを共有した。
「お手伝いできた」
震災直後に津波で家を失った親族16人の桐生受け入れに奔走した飯沢さんは「自分は何もできなかったが、桐生の人たちに助けてもらった。『群青』の縁をつなぐお手伝いができてうれしい」と話す。
深津さんも「『群青』という曲を作った小田先生と直接お話しができて、曲を作ったときの思いが聞けて本当に有意義だった。被災地の思いが伝わるようなコンサートにしたい」と意気込んでいる。
コンサートは25日午後3時から、市民文化会館シルクホールで。入場料は全席自由で1500円(高校生以下500円)。問い合わせは同合唱団事務局(電080・6564・3800)へ。
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