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帽子メーカーcom+position、伝建群内に店舗兼工房開店

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 帽子メーカーの「com+position」(齋藤良之代表)の店舗兼工房「usine(ユージーン)」が3日午前、桐生新町重要伝統的建造物群保存地区内に本オープンした。本町通りに面しており、店内で帽子職人の大山了さん(51)がブレード帽を縫う仕事の様子を通りからガラス越しに眺めることができる。

 そばにある元機料店の石蔵で2016年に事業を始めたが、手狭になったのを機に、自社ブランド「usine」の店舗と事務所の機能を分ける形で開店準備を進めていた。

 店ではオリジナルのブレード帽とフェルト帽のほか、齋藤代表(47)の元同僚で縫製の経験が豊富な牛丸理恵子さん(43)が加わり、4月からは布地の帽子の展開も始める予定だ。こだわりの強い人向けに好みの型と素材を選べるオーダーも請け負う。

 価格帯は1万円台から2万円台後半。来店客限定で1万円台前半の目玉商品も今後用意するという。

 通りに向けてミシンを操る大山さんは「うれしいような恥ずかしいような。いろいろなお客さんの帽子を作りたい」と照れ笑い。齋藤代表は「職人の手で1個からできることを前面に押し出し、他の帽子屋ができないことをしたい。桐生に来たからこそ注目され、ありがたい。桐生同士でコラボレーションもできたら」と話す。

 営業時間は平日が午前10時半~午後6時、土・日曜、祝日が正午~午後6時(第1土曜のみ午前9時半~午後5時)。不定休。

 問い合わせは同事務所(電0277・46・8663)まで。
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足銀桐生支店、移転へ 新宿は「支店内支店」に

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 足利銀行(松下正直頭取)は2日、桐生支店(桐生市本町五丁目)を現在新宿支店がある同錦町二丁目に来年8月をめどに移転することを明らかにした。今年11月に新店舗を着工予定で、新宿支店は桐生支店の「支店内支店」となる。

 同行によると、両支店ともに老朽化が進んでおり、駐車場も狭いため、建て替えと移転を決めた。統合ではなく、両支店を同一店舗で営業する形にするのは、店番や口座番号の変更などで客の利便性を損なわないための措置という。

 新店舗の詳細は明らかにしていないが、銀行業務の効率化が近年進んでいることを反映し、「コンパクトで機能的な店舗になる」(広報室)見通し。

 6月4日付で新宿支店を桐生支店内に移転した上で、11月に新宿支店所在地で工事を着工。来年8月の開店を見込む。現桐生支店は取り壊し、跡地には店舗外ATM(現金自動預払機)を設置する。
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松原橋そば国道50号、太田スマートICと直結へ

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 北関東自動車道に整備中の太田スマートインターチェンジ(IC、仮称)と、桐生市広沢町の国道50号を直結する県道新設構想が、10年以内の着手を目指す路線として、県の社会資本整備計画に初めて盛り込まれた。同計画は開会中の県議会定例会に県が提案したもので、20日の本会議で採決される。桐生市街から太田スマートICを結ぶ新たな北関東道アクセス道路で、都市間連携を強化する幹線道路としても期待される。

 同計画は、県が2018年から10年間の社会資本整備方針をまとめた「はばたけ群馬・県土整備プラン」。昨年12月~今年1月に原案を公表し、県民から意見を募ったうえで、県議会定例会に計画を提案している。

 同プラン原案は、同県道新設を「県道太田桐生線バイパス整備」と命名。27年度までの計画期間内に県が実施する主要事業(桐生・みどり地域)に初めて盛り込んだ。

 県道新設の場所は、松原橋交差点付近の国道50号(桐生市広沢町六丁目)が起点。太田パーキングエリアと併設の太田スマートIC(太田市北金井町)に直結するルートを有力案として事業化を検討するとしている。

 新たな北関道アクセス道路整備が県計画に位置づけられたのを受け、桐生市も同市議会定例会に提案中の市総合計画構想案に、「太田スマートICへアクセスする道路の整備促進を図る」との一文を盛り込んだ。

 先月20日の同市議会本会議と、今月2日の同予算特別委で、市当局は太田スマートIC整備の現状を説明。「用地買収に時間を要したため、今年3月の予定だった完成時期が夏ごろになると聞いている」と報告した。

 さらに「桐生市としても、(太田スマートICに直結する)県道新設が実現すれば市民の利便性が向上し、太田市との都市間連携強化にもなる。引き続き県と太田市と連携し、早期事業化に向けて努力したい」とした。
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まつり

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 桐生市の国内親善都市(姉妹都市)である徳島県鳴門市。その鳴門市から、桐生八木節祭りに有名「連」のグループが派遣され、桐生市民の前で阿波踊りを披露してくれることがある。その鳴門市よりも一回り大きい阿波踊りが行われているのがお隣の徳島市。阿波踊りの本場であり、全国的には徳島市のほうが有名だろう。そんな「徳島の阿波踊り」が今大きく揺れているらしい▼毎年8月に開かれる阿波踊りの主催団体の一つ、徳島市観光協会が同市から徳島地裁に破産申し立てをされ、その手続きに入ったという情報がネットニュースに乗り、地元の新聞社もそれを報じている。それらによると、今までの「阿波踊り」で多額の損出があり、その累積赤字は数億円にも上っていることが分かり、赤字が出た場合に肩代わりすることになっている同市が、破産申請をしたのだという▼全国的にも有名な「徳島の阿波踊り」でさえ、こんなことになっているのか、と驚いた。今年の阿波踊りは例年通りに開催できるのか心配になった▼そして、桐生のまつりに関しても、いくつか大きな課題を越えなければならない状況であることをあらためて考えた。多くの知恵が必要だろう。 (
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完成!桐生まち映画「祭りのあと、記憶のさき」

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 桐生八木節まつりと桐生祇園祭をテーマに伝統・文化と若者の情熱を通して桐生の魅力を描く桐生まち映画「祭りのあと、記憶のさき」(藤橋誠監督)が完成した。上映時間95分の力作で、藤橋監督は「難しいテーマだったが、協力いただいたみなさんの情熱でいい作品になったと思う」と手ごたえを語っている。映画は4月8日午後1時半から、桐生市市民文化会館シルクホールで上映される。

 まち映画は、地域住民が発案から出演、資金集めまでを手掛ける製作手法。今回は会社員でプロデューサーの大沢貴紀さん=桐生市梅田町三丁目=が、監督の藤橋さんとともに仕掛けた。

 映画は、横浜で暮らす女子高生が祖母の見舞いで生まれ故郷の桐生を訪れ、祭りを通じて同世代の若者や伝統文化を継承する住民らと交流し、自身の将来を見据えてゆく。

 4日行われた製作関係者向けの上映会では、出演者が勢ぞろいして会見。主演の原澤心さんは「受験と重なり大変だったが、みなさんに支えてもらった。桐生の市民はもちろん、桐生を知らない人にもぜひ見ていただきたい」とあいさつ。

 準主役の大島璃乃さん=桐生市宮本町二丁目=と長岡千夏さん=同市相生町一丁目=は「完成した作品を見て、大勢の人がかかわっているのだと改めて感じた」「作品を通じてまつりの魅力が伝われば」と感想を述べた。

 4月8日の上映会はチケット1000円(中・高校生500円、小学生以下無料)。上映後、監督・出演者による舞台あいさつが行われる。チケットは市民文化会館などで発売中。

 問い合わせはプロデューサーの大澤さん(電090・9370・0479)まで。
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高校生、安吾に挑む 桐一、桐南、樹徳の14人が朗読

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 第29回安吾忌の集いが10日、「高校生、安吾を読む!」と銘打って有鄰館煉瓦蔵で開催される。作家坂口安吾(1906~55年)が桐生で急逝した2月17日にちなみ、さまざまな形で安吾作品を味わってきた催しに、今年初めて高校生が登場。地元3校の放送部と演劇部の生徒たちが「桐生通信」全8編の朗読に挑戦する。

 「桐生通信」は1954年3月から12月にかけて、読売新聞の文化欄に8回にわたって連載されたエッセー。桐生に移住して2年後の安吾が、商魂たくましい町の様子や旦那たちの性向、広い校庭を持つ小学校、映画館と自転車の関係、底抜けのお祭り好き、桐生川のアユ、家主の書上文左衛門とゴルフなど独自の観察眼で闊達に描き出しておもしろい。

 この作品に挑むのは樹徳高校放送部の3人と、桐生第一高校演劇部3人、桐生南高校演劇部8人。これに桐生市本町四丁目で「ヴァイオリン工房」を営む伊藤丈晃さん(38)が、ビオラの演奏を添えることになった。 

 樹徳放送部の淺沼雄登さん(1年)と渡辺蘭さん(1年)、岸和佳奈さん(2年)、静野恒一教諭(35)は3日、伊藤さんと初顔合わせ。演奏と朗読の出だしをアイコンタクトで計ったり、拍手を受けて退場する間を合わせたりした。

 高校生は「昔の小説を読む機会がない」と、64年前の桐生を描いた安吾も遠い存在のよう。イケメンの文豪たちが登場するアニメやゲームで安吾の名を知っている高校生もいるが、今回のチャレンジは距離を縮める機会にもなったようだ。

 伊藤さんは「自分は弾き手ではなく作り手ですが、高校時代にビオラと出合ったので、高校生といっしょにやれるのはうれしい」。やはり初の試みに「演奏はアドリブ的ですが、有鄰館という場で響きと音色を味わってもらえれば」と語る。

 集いは10日午後1時半開場、同2時開演、入場無料。その後に午後5時から美喜仁(本町四丁目)で懇親会(会費5000円)。安吾長男の坂口綱男さん、映画「白痴」監督で桐生ロケを敢行した手塚眞さんらも参加する。申し込み、問い合わせは主催の安吾を語る会(奈良彰一代表、電0277・22・7967)へ。
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震災の記憶を生かす

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 強烈な揺れと大津波に襲われ2万人近くが命を落とした2011年3月11日の東日本大震災から、間もなく7年がたつ。福島第1原発事故も重なり、大勢の人びとが避難をやむなくされた。復興の取り組みは今もまだ、それぞれの被災地で続く。

 あのとき桐生・みどりの大地も大きく長く揺れた。いつもの地震と明らかに違う揺れは、私たちの心身に傷痕を残した。地震を感知する体内のセンサーはしばらくの間、かすかな気配さえとらえ、直後に到来するであろう揺れの強さを判断し、身構えるための物差しとなった。

 7年がたち、地震のショックそのものは徐々に薄らぎつつあることは確かである。でも、あの地震が今も私たちの暮らしやものの考え方に影響を及ぼしていることは、間違いない。

 分かりやすいのは、防災に対する意識の変化だろう。地震や大雨の際、自分たちが暮らす地域ではどんな災害の発生が見込まれ、自分や家族、近隣住民の命を守るには、そのときどんな行動をとればいいのか、考える機会は着実に増えている。行政まかせをやめ、自主的に考え、備え、そして動こうという意識は、自主防災の取り組みなどを取材するたびに感じ取れる。

 そこから読み取れるのは、人間個々の力には限界があるという事実を素直に受け入れようとする姿勢であり、防災を通じて住民どうしの関係性を改めて深めようとする意識である。

 災害はその地域が抱える弱点を浮き彫りにする。東日本大震災では被災を機に、人口減少に拍車がかかる自治体が増えた。家屋や働く場が失われ、仕事を求めて仕方なく都市部に移動した事情はもちろんある。とりわけ、地域の活力源となる若い世代が大都市に流出してしまい復興に影響を与えていると、ある自治体の職員に聞いた言葉だ。

 だからこそ、地域がいま何をすべきなのか、まっすぐ考える機会にもなった。明確な目標は行動の強い動機となっている。

 それは、桐生みどり地域にも当てはまる。いま、桐生市内の各地域で取り組みが進む交流サロンの形成などは、福祉という視点から住民どうしのつながりを強固にするための方策だが、そこには、災害のときに助け合う共助の精神を育もうという視点もまた含まれているはず。

 7年という歳月の中で、震災の記憶は風化するだけではなく、こうして生かされている。
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土を耕す

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 2017年の漫画単行本の推定販売金額で電子版が紙を初めて上回ったという▼出版科学研究所によると、紙の単行本は前年比14・4%減の1666億円と過去最大の落ち込みとなる一方、電子版は同17・2%増の1711億円を売り上げた。▼逆転以上に気になるのはコミックス全体の市場規模の減少で、雑誌も含めると前年比2・8%減。桐生第一高校のデザイン美術系の生徒を対象にしたプロ漫画家による特別授業で、講師の三友恒平さんが「雑誌に新人を育てる余裕はない。電子コミックは原稿料は安いが、チャンスは多い」と話していたことを思い出す。ただ、有象無象の電子コミック業界。見つけてもらうだけでも大変そうだ▼ひと足先に電子化の波にさらされた音楽業界では今、1970年代の日本のポップスが国内外で注目を浴びている。さまざまな境界を超えるインターネットの光の部分。祖父母と孫が同じ1曲を一緒に歌う、そんな歌声喫茶が生まれる可能性もあるのだ▼海賊版の撲滅も重要だがいたちごっこになりがち。いまこそ、出版業界が一つになって海賊版よりも使い勝手のよい「場」をつくらなければ、日本の文化を守ることはできないだろう。(
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しょうゆ感想文コンで笠懸小3年の太田いとさんが佳作に

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 日本醤油協会が主催する第12回しょうゆ感想文コンクールで、太田いとさん(みどり市立笠懸小学校3年)が工場見学部門の佳作に入賞した。同協会の般若攝也専務理事や、工場見学を受け入れている岡直三郎商店(大間々町)の岡資治社長らが5日に学校を訪問し、表彰状と副賞を手渡した。

 食育推進の一環として、日本の伝統調味料しょうゆの出前授業、工場見学、また今回から好きなしょうゆ料理部門も設けて実施しているコンクール。全国の小学校3~6年生から3部門に1468点の応募があり、各部門で最優秀賞と優秀賞各1点、佳作5点が決まった。

 太田さんは「しょうゆ工場で発見」と題し、社会科の校外学習で見学した岡直三郎商店について書いた。竹と杉でできているおけの大きさ。蔵の中に入ると塩4トン大豆1トン小麦1トン。「やきまんじゅうみたいなにおいでした」。ほかのメーカーの3倍の1年半もかけてつくることに驚き「とくにたまりしょうゆがおいしそうでした」。麹(こうじ)をつくる人、大豆を細かくする人、配達、営業、販売など専門の仕事がある。そして8代約230年も続いてきた、と。

 「本を読むのが好き」で、得意料理は「卵焼き」という太田さん。賞状と副賞を受けて「うれしい」とにっこり。「業界も子どもたちから元気をいただいています」とのことで、入賞作品集は一冊の本にまとめる計画だ。
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第8回きりゅう映画祭、新作担当2監督決まる

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 短編映画祭「第8回きりゅう映画祭」(桐生青年会議所主催、9月開催予定)で公開する新作短編の担当監督が、大森歩さん(32)と畑井雄介さん(37)=いずれも東京都在住=に決まった。このうち、大森さんは大学進学で上京した際に同居した母方の祖父との生活体験をもとにした作品を撮影する。5月をめどに桐生でのロケに入る予定だ。

 映画祭の脚本公募には今回、31企画が寄せられた。大森さんは昨年も応募し、最終選考まで残っていた。CM制作プロダクションで仕事をしており、初めて映画作品を手掛ける。

 作品名は「(仮称)私のじぃちゃん」。実家のある愛知県から上京した大森さんが、大学の近くに住んでいた元軍人の祖父と2004年から2年間暮らした実話を映像化する。

 「美術で食べる気満々できらきらした大学生活を望んでいた私にとって、足が悪く介護も必要な祖父は現実を突きつける存在だった」と大森さん。「70歳くらい年が離れた人と暮らすと衝撃的なことも多い。一緒に暮らすことで少し社会が広く感じた。共同生活の中で思ったことを表現できたら」と話す。

 五輪も控え、未来の明るさに焦点が当たることにも違和感を覚えているという。「高齢者問題もあるし、戦争を体験した人が一人もいない未来も迫っている。戦争が正しいか悪いかではなく、たった70年前にあったことにもう少し目を向けたい」とも語った。
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変わり目に

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 暖かかったきのうまでとは打って変わり、きょうは真冬の寒さに逆戻りした。この寒さはあすまで続く見込みだ。春先らしい天気といえばそれまでだが、季節の変わり目は体調不良になりやすいから注意が必要だ▼例えば寒暖差アレルギーや寒暖差疲労など。その名のとおり、前日まで気温が高かったのに、翌日に急に冷え込むなど、急激な寒暖差によって自律神経が乱れることで起こる鼻炎や疲労。特に前者はくしゃみ、鼻水、鼻づまりのほか、食欲不振、不眠、イライラ、疲れやすいといった症状がみられ、一般的に筋肉量の少ない高齢者や女性がなりやすいとされる▼筆者もこの時期になるとくしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなど、寒暖差アレルギーと似たような症状に悩まされている。が、慢性的な花粉症と信じ、いつもの病院でいつもの薬を処方してもらい、症状を和らげている。しかし、肩こりや冷え症はもしかしたら寒暖差疲労かもしれない。ま、これだけ寒いと肩は凝るし、足も冷えるわ、と思いながら日々の体調管理に努めてはいるのだが▼もしも症状が長引くようなら病院で診断してもらうことが大事だ。花粉から解放され、肩の凝らない日が待ち遠しい。(
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紙の建物で本町マップ、小学生ら対象にワークショップ

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 桐生青年会議所(JC、水越正樹理事長)は「まちづくりを気軽に楽しく体験してもらおう」と17日、有鄰館煉瓦蔵で小学生とその家族を対象に「わくわくワークショップ」を開く。桐生市とみどり市大間々町の本町通りをそれぞれ区画で分け、与えられたテーマに基づき、ペーパークラフトで建物を作り地図に並べる。完成したまち並みは8月の桐生八木節まつりで展示する予定だ。

 桐生市は本町を一―六丁目を6区画、大間々町は大間々一―七丁目を7区画の計13区画に分け、参加者が同数のテーブルに分かれ、道路と文化財のみが記された担当区域の白地図(A0判)に建物を作って並べていく。テーブルごとのテーマは別々。最後にマップをつなげて完成させる。完成したまち並みは、桐生八木節まつりの開催期間中に展示する。

 事業を主管する「きりゅうの魅力創造委員会」の井川喜陽委員長は「住んでいるまちに興味を持ち、より身近に感じてほしいと企画しました。家族で和気あいあいと楽しみながら、まちづくりを体験してほしい」と話す。

 定員60人で先着順。参加無料。申込用紙か桐生JCのホームページ(http://kiryu―jc.com)から申し込む。小学生は保護者同伴が条件。時間は午後1時半から同4時半まで。問い合わせは事務局(電0277・46・3777)へ。
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桐生産地の今を、「TPS」東京・青山で開幕

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 繊維産地桐生の最新の取り組みを発信する「2018桐生テキスタイルプロモーションショー(TPS)」(桐生地域地場産業振興センター主催)が7日午前、東京・青山のテピアエキシビションホールで始まった。8日まで。洋装26社、和装7社の計33社がそれぞれの個性を生かした展示を披露している。

 入り口正面に和装部門の帯など象徴的な品物を置き、中心部にテキスタイル部門のコンセプトゾーンを配置。生地サンプルをつり下げ、午前10時の開始間もなくから、来場者が織物に直接触れ、風合いや質感を直接確認する姿がみられた。

 30回の節目となった今回の総合コンセプトは「Live your dream(ライブ・ユア・ドリーム)」。一見すると普通の柄に見えつつ、ジャカード織りでさりげなく地紋を入れるなど、ひと工夫ふた工夫施して差別化したり、世代や性別を問わない汎用性を追求するなど、時代の潮流に合わせて開発した織物も目立った。

 総合プロデューサーの福田敏雄さん(エフ・プラスカンパニー代表)は「努力作、自信作ぞろいで既に評判がいい。気張らずに何げなく凝っている。何でもないようでいて、非常によくできている。きちんと時代をくみ取っており、これで売れないわけがない感じだ」と評価していた。
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命をいただく

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 啓蟄を知っているかのように、虫が落ちていた。散り初めた桃の花びらに交じっていやがったから、桃のつぼみにでも潜んでいたのだろう。表飾りの大型内裏雛の脇に添えた桃花なので、雛さまを直撃しなくてよかった▼だいたい虫は苦手である。奥の寝所には小ぶりな段飾りをまつるのだが、ここには桃を添えていない。ゆえに、寝床に虫が侵入する心配はない。ことのほか厳しかったこの冬も湯たんぽの出番はなくなり、季節は移ってゆく▼思えば今季、スキーをしていない。大人になってからはもっぱらクロスカントリースキーで、純白の雪原を滑走するよりは逍遥して、裸樹が写す縞模様のなか鳥たちや獣の足跡と出合うのを喜びとしてきた。シカの群れに遭遇したのは奥日光だった▼うまそうだと眺めたわけではないが、ジビエには興味がある。シカやカモのほか、最近はクマやイノシシ(ウリ坊)を食する機会があり、北欧ではトナカイは牧場育ちらしいが美味だった。国内でも害獣として駆除処分するだけでなく食肉に利用しようという動きはある▼野生の尊い命をいただくには、病原微生物や寄生虫がいるため解体や調理の技術が必要となる。しかし放射能汚染は絶対にダメだ。(
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「地球の歩き方」観光パンフ、桐生・足利版が完成

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 桐生市は7日、海外旅行ガイドブックの人気シリーズ「地球の歩き方」を発行するダイヤモンド・ビッグ社(東京)と作製中だった同タイトルの桐生市観光パンフレットが完成したと発表した。足利市との共同制作で、両市版と各市版合わせて計55万部を作製。観光PR用に活用するほか、首都圏の大型書店でも配布し、電子書籍端末にも無料配信するなどして観光誘客を図る。

 日本遺産をもつ桐生・足利両市が前年度から取り組むヘリテージツーリズム(産業遺産を生かした観光振興)の一環。国の地方創生推進交付金を活用し、事業費約1千万円(うち各市負担約250万円)で作製した。

 「地球の歩き方」は、世界各国・都市を紹介する個人旅行者向けの海外旅行ガイドブックで、1979年の創刊以来100種類以上が発行されている。対象国や都市を象徴するイラストの表紙で知られる。

 桐生・足利版の「地球の歩き方」はB5判フルカラー。版両側表紙(左表紙が桐生、右表紙が足利)の両市版(16ページ)を35万部、片側表紙の各市版(8ページ)を各10万部作製した。

 桐生版の内容は、重伝建地区をはじめとする日本遺産の構成資産、ひもかわやソースカツ丼などのグルメ、織物や着付けなどの各種体験、桐生八木節まつりなどの各種イベントなどを紹介している。

 大型書店での配布は3月中旬から実施。ダイヤモンド・ビッグ社の協力を得て、首都圏のモールや百貨店などの大型書店18店で、旅行関係書籍・書籍の購入者などを中心に約5万部を無料配布する。

 また9日から電子書籍端末「キンドル」でも無料配信予定。桐生市では市外からの観光客向けに、市内の主要観光拠点に置くほか、市観光交流課でも配布する。問い合わせは同市役所新館3階の同課(電0277・46・1111内線366)へ。
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「白瀧姫御縁起」、新井淳一さんの布が舞台彩る

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 文化庁の助成で21日に行われる桐生文化芸術発信事業「白瀧姫御縁起」の舞台に、桐生が生んだ世界的テキスタイルプランナー新井淳一さん(1932~2017年)の布が掛かることになった。スーパー歌舞伎や平成中村座などの舞台美術を手掛けてきた金井勇一郎さんと、舞台監督をつとめる浅香哲哉さんらが来桐し、大川美術館が所蔵している布を選定し構想を練った。

 「白瀧姫御縁起」公演は桐生市市民文化会館開館20周年記念事業でもあり、舞台はシルクホール。京の都から桐生に織物の技術を伝えて神としてまつられる白瀧姫と山田男の伝説に神楽や和太鼓、八木節、民謡などもアレンジして創作舞踊とし、桐生の子どもたちや女性たちも出演。最後は昇天して織姫と彦星となる夢幻のストーリーという。

 作・演出、振り付け、作曲、美術、照明などには当代一流の歌舞伎研究者や実作者らが結集している。地元桐生からは奈良彰一さんが監修でかかわり、舞台美術についても新井さんの布や鳳仙寺(梅田町)の竹、絹の染織工房(宮本町)の織機の使用を提案した。

 新井さんの布に触れた金井さんは「すばらしい布。きれいに見えるでしょう」と語る。アルミニウムを真空蒸着したポリエステルフィルムのスリットヤーンを経糸に、ウールの緯糸を織り込んだ布を手で絞り、あるいは板締めし、金属を溶解させた漆黒と金の布たちは「ディコンストラクション(脱構築)」シリーズで、1991年から92年の作品。大川美術館が所蔵する5点が選ばれた。

 白瀧姫と子どもたちが布さらしをする渡良瀬川のシーンで、上からおりてくるという。また京から桐生への道行には木曽路の浮世絵、文化元(1804)年に小寺應齋が描いた「白瀧姫御神影」などの映像も投影され、ラストシーンには天の川が広がる。

 公演は午後3時開演、第2部は歌舞伎俳優市川猿之助さんのトークショー。チケットは1500円(全席指定)、市文(電0277・22・9999)、笠懸野文化ホール(電0277・77・1212)、桐生音協(電0277・53・3133)などで取り扱っている。
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戦争を語り継いでいく

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 敗戦で失意の底にあった日本人の心に明るい歌声で「リンゴの唄」を届けた歌手の並木路子さんは、1945年3月10日の東京大空襲の夜、火災から逃れるため隅田川に母親と一緒に飛び込んだ。数日後、母は遺体で発見され、さらに父や兄も戦火で亡くすなど、日本人が味わってきた悲しみの多くをその一身に背負ってきた人である。

 作曲した万城目正さんが彼女に譜面を渡したのは終戦の翌月だった。万城目さんはすべてを心得た上で、レコーディングでは「キミの歌は暗すぎる」と指摘したという。「気持ちはわかるけれど、いまは悲しみに耐えている人たちに希望を与えるためにも明るい歌が必要なんだ」

 そのひとことが心に突き刺さったという並木さん。日本の復興に貢献した昭和歌謡の誕生秘話の読後感は重かった。

 このころ日本は東京だけでなく、各地が激しい空襲にさらされていた。その中で人々はどんな難に遭い、逃げのびて、戦後の日々へつないでいったのか。

 そうした体験談は私たちの新聞にも数多く記録されている。

 並木さんと同じころ、焼夷弾の雨と猛烈な炎と黒煙と風から身を守りつつ、逃げのびた青年は「明日があるということくらい幸せなことはない」と、戦後はキャリアとなって日本の暮らしの向上に手腕を振るった。

 勤労動員中の工場で爆撃に遭い、九死に一生を得た後に、日本の技術大国への歩みに貢献する学者となった人もいる。

 立ち止まれば群集に踏みつぶされる恐怖を味わいながら親に手を引かれて逃げた幼い日の体験を語ってくれた人の「戦争なんかしてはいけない」の言葉の余韻はいまも忘れがたい。

 「私は、湾岸戦争のテレビ映像を見たとき、焼夷弾が花火のようにきれいに落ちていった下町の姿が浮かんで、涙が止まらなかった」と、こんな思い出を語ってくれた女性もいた。

 こうした話を文字で再び伝えようとするたびに体験者の気迫には到底及ばないと痛感する。

 戦争を想像で語らねばならない限界を、伝える側がつい感じてしまうのだ。だが、及ばずとも、折にふれ繰り返していかねばならないことだとも思う。

 「戦争を知っている世代が社会の中核にある間はいいが、戦争を知らない世代ばかりになると日本は怖いことになる」と言ったのは政治家の田中角栄さんだ。そうならないために。
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おもしろい

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 世界最高峰の競技者による冬のスポーツの祭典、平昌五輪の閉幕から2週間。平昌パラリンピックは9日夜の開会式でその幕を開ける▼五輪は、あまりなじみのないスポーツのおもしろさを再認識できる機会。銅メダルを獲得したカーリング女子の活躍で「4年おきのブーム」がまたやってきたらしい。桐生でも16日に体験会が行われるとのこと▼なじみのないスポーツのおもしろさということで、パラリンピックにも同じかそれ以上の期待をしている。そもそもスポーツはルールという制限の中で技を競うもの。パラリンピックでは制限がさらにあり、たとえば視覚障害のカテゴリーでは、障害の程度による個人差をなくすため、全員が黒いゴーグルを着用する競技もある。より制限のある中で、技を競うわけである。制限だらけになってしまうとつまらないが、制限は多いほうが、技術や工夫が生きてくる。そしてそれは、おもしろいものである▼友人とビリヤードをした。昔ながらの四つ玉。ひと勝負が長いので、もっと気楽にやれるようにとボールを増やして“九つ玉”にしてみた。やりながらその場でルールを増やしていったら、気楽ではなくなったが、おもしろくなった。(
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桐一高、新校舎完成 被災から7年

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 東日本大震災から7年、校舎の一部に大きな被害を受けた桐生第一高校(桐生市小曽根町、久保田信一郎校長)に、4階建ての新校舎が完成した。あわせて既存の校舎の改修工事も行い、新年度に備える。10日には寄付者らに対する感謝の集いを開催し、見学してもらう。

 桐一の新校舎は体育館の東隣に完成。明るいガラス張りで、廊下の両側に教室が並ぶ。総合各コース(ものつくり、デザイン美術、ファッション、福祉、こども)や家庭科の本格的な実習室、防音設備を備えた音楽室、進学スポーツコースの普通教室や、習熟度別授業に対応できる小教室などが入る。

 あわせて既存校舎の改修整備も行われ、グラウンドは人工芝を張り替えてナイター設備を設置した。桐生出身の彫刻家、和南城孝志さん(1949~2003年)が沢入の白御影石とコールテン鋼で制作した大作「重力のファサード」(1985年)は正面に移設された。

 桐一は2008年度から旧桐生市立西中学校の校庭を借り、大震災後の11年度からは校舎の貸与を受けてきた。桐生市との校舎の使用契約は今年度限りとするが、校庭については引き続き借用する予定だ。

 新校舎の建設に当たっては175の企業や卒業生たちから寄付が寄せられた。新年度の使用開始を前に、10日に関係者にお披露目して「感謝の集い」を開くことにしている。
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「群青」がつなぐ福島との縁 被災地の思い、桐生へ

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 東日本大震災から11日で7年がたつ。震災や原発事故で友人と離れ離れになった福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の生徒と音楽教諭が作った合唱曲「群青」。その歌詞と曲に心動かされた桐生人が先日、作者の思いを聞こうと被災地を訪ねた。そこで当時の同中卒業生が桐生に避難したことを初めて知る。小高と桐生をつなぐ不思議な縁。桐生人たちは25日、復興支援コンサートを桐生市内で開く。被災地の思いを乗せて「群青」を歌い上げるつもりだ。

 「『またね』と手を振るけど/明日も会えるのかな」「当たり前が幸せと知った」「響けこの歌声/響け遠くまでも/あの空の彼方へも」「また会おう/群青の街で」

 故郷や家族、友人を一瞬にして奪い去った震災。その約2年後に被災生徒の思いを込めて作られた「群青」は、復興支援ソングとして多くの場所で歌い継がれている。

 コンサートは、音楽を通じて被災地支援を続ける「桐生EBISU合唱団」(飯嶋浩一団長)の主催。被災地にゆかりのある多くの演奏家を招くほか、桐生市近隣の市民や中高生を含め200人以上が出演する。

 「群青」の作者に会いに行こうと思い立ったのは、同合唱団を指導する桐生市在住の声楽家・深津素子さん。コンサートで歌う前に、どんな思いでこの曲が作られたのかを直接感じたかったからだ。

 きっかけは小高中(合併前の旧福浦中)出身で桐生市在住の知人・飯沢ヨウ子さん(64)。南相馬市教育委員を務める飯沢さんのいとこを通じ、「群青」を作った音楽教諭の小田美樹さんと会うことになった。

気になる教え子は

 深津さんや飯沢さんら桐生一行が、南相馬市小高区を訪問したのは1月下旬。小田さんは会って早々、「桐生には気になる教え子がいるんです」と話し始めた。

 小田さんは震災当日、小高中3年の担任として卒業式に臨んだ。その卒業生の1人の少年が桐生に避難したという。その名を聞いて驚いた飯沢さん。自分を頼って桐生に避難した義妹のおいだった。

 その少年の一家は、津波で家族4人を失って桐生に避難してきた。それから7年。少年は新しい仲間とともに桐生の高校を卒業し、近くの専門学校で医療関係の資格を取り、群馬県内で元気に働いている。

 教え子が群馬で活躍していると聞き、小田さんもうれしそうだったという。一行は昨春再開した小高中や群青色の海を見下ろす高台を訪れ、「群青」ゆかりの場所を回りながら曲への思いを共有した。

「お手伝いできた」

 震災直後に津波で家を失った親族16人の桐生受け入れに奔走した飯沢さんは「自分は何もできなかったが、桐生の人たちに助けてもらった。『群青』の縁をつなぐお手伝いができてうれしい」と話す。

 深津さんも「『群青』という曲を作った小田先生と直接お話しができて、曲を作ったときの思いが聞けて本当に有意義だった。被災地の思いが伝わるようなコンサートにしたい」と意気込んでいる。

 コンサートは25日午後3時から、市民文化会館シルクホールで。入場料は全席自由で1500円(高校生以下500円)。問い合わせは同合唱団事務局(電080・6564・3800)へ。
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