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訓練中の事故の悲しさ

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 あまりに突然の出来事に、遺族はいまも子どもらが亡くなった現実を受け止めきれていないのではないかと思うと、何とも悲しい、痛ましい事故である。

 栃木県那須町のスキー場で雪崩に巻き込まれ、山岳講習会に参加していた県立大田原高校の山岳部員7人と教師が犠牲になった。雪崩の危険地帯は避けているので「安全だ」という認識のもと、当初の登山をやめてラッセル訓練に切り替えたのはベテラン指導者の判断だ。こんな事態になると思わず、本部のある宿舎で「荷物の運び出しや精算をしていた」と、29日、責任者は記者会見で語っていた。

 だが雪崩は起きた。部員たちが巻き込まれた緊急事態の一報は、宿舎へ駆け込んだ引率教諭によってもたらされたという。

 その重大な結果を突きつけられた会見をテレビで見て、残念な思いになった。雪崩の心配はないという判断の根拠は経験則というあいまいなことばに変わり、緊急連絡用の無線から離れていた時間があったこともわかって、自然災害とはいえ、危機管理の甘さがあったことは覆うべくもなかったからである。

 「絶対安全」のことばを釈明に使ってしまい、そこを記者につかれて「いまとなっては反省しないといけない」と答えていた責任者。明確な謝罪のことばがなかったと、会見を報じた新聞ではそんな指摘もみられた。

 状況を説明しながら、時折ことばを詰まらせ、目を潤ませる場面もあり、押さえ込んでいる気持ちは伝わってきた。教師自身、この状況がつらくないはずはない。その心情をもっと素直に、真っ先にことばにしてほしかったと、会見映像にそんな印象を持ったのは事実である。

 今後、事故の検証が進められていくなかで、責任の所在は明らかになっていくことだろう。

 会見のやりとりにあったように、自然が相手である以上、絶対に安全という状況はまずありえない。危険は常に心にとめておかねばならないのである。

 個々の意思に基づいて行動する際の当然の心構えとして、ましてや講習会という場の訓練において、参加者が命を失うようなことはあってはならない。これこそが「絶対に」なのだ。

 今月5日には長野県で防災ヘリが墜落し、搭乗者全員が死亡した。山岳遭難の救助訓練中の事故であり、犠牲者はさぞかし不本意だったろうと胸が痛んだが、いまも同じ気持ちである。
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