連休中、吉野源三郎さんの著書「君たちはどう生きるか」を手に取り、久しぶりに読み返した。約30年ぶりの再読である。
中学2年の主人公・コペルくんが、友人やおじさんとのつきあいを通じ、自分が暮らしている社会をどのように認識し、何を感じとり、疑問を見つけ、行動につなげるのか、記憶と照らし合わせて読み進めたが、考え込む場面が少なくなかった。
例えば、身の回りの製品には、材料をつくる人、それを使って製品に仕上げる人、それを運ぶ人、そして売り手と、多くの人の手がかかわっている。一見自由に振る舞っている人間の活動が、私たちの暮らしを支えているのだと、コペルくんは気づき、これを「人間分子の関係 網目の法則」と名付ける。
そんなコペルくんの発見を、おじさんはもう一段掘り下げてみせる。地球を包み込んでしまうような網の目をつくりあげた人間だが、その関係性については、まだまだ人間らしいものとはいえないのではないか。関係性が直接見えない赤の他人どうしの間にも、「ちゃんと人間らしい関係を打ち立ててゆくのが本当」なのではないかと。
人間らしい関係とは何だろう。「人間どうしが好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことはほかにありはしない」と、おじさんは続けている。
おじさんの見立ては甘いのかもしれないが、著者はあえて希望を語ったのだと思う。
本が出版されたのは、今から80年前の1937(昭和12)年。この年の盧溝橋事件を契機に日中間はいよいよ悪化し、全面戦争へと突入していく。治安維持法の施行下でもあり、2年前の35年には、それまで憲法学の通説とされてきた美濃部達吉の天皇機関説が「国体に反している」と議員らから攻撃を受け、統治権の主体は天皇にあるとする天皇主権説が主流になった。
自由な物言いが制限され、息苦しさを感じる中での、未来を担う子どもに向けた、先人からのメッセージだったはずだ。
学校で教えられた通りに、世間で言われている通りに行動し、生きてゆくだけでは、人間として一人前にはなれない。尊厳をもって生きるために、肝心なのは世間の目よりもまず、あなた自身が魂で真理を知ろうとする姿勢なのだと、著者は問いかける。自分の考えで行動を決定することの難しさ、大切さは、今も変わらないはずだ。
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