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本を読むという作業

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 今年も読書週間が始まった。先日、小さな書店に立ち寄ってみた。書棚にある本はどれも個性的で、ふだんあまり見かけないものが多い。出版社を見てもなじみが薄い。ハンディーサイズの雑誌を一つ手にとってみると、手のひらに収まりがよく、ページのデザインもゆったりと心地がよい。のんびりとした本の内容と、妙にマッチしていて、購買意欲がくすぐられた。

 書店の店主に聞いてみると、ブログの連載の延長で出版にたどりついた本なども少なくないのだという。言われてみれば、これだけ電子メディアの発達した時代、ブログで読者をつかみつつ、大まかな発行部数を読み、それに応じて紙媒体へと移行をすれば、出す側としては大きな痛手を負わずにすむのかもしれない。単行本にしてもまずは小ロットで出版する。

 書籍離れが叫ばれて久しいが、1000部、2000部といった少ない部数に対応できる、経営規模のきわめて小さな出版社の数は、ここ数年増えているのだという。しかも東京や大阪、京都といった大都市を離れ、地方都市でひっそりと、地道な仕事を続けているつくり手たちも、少なくないようだ。

 そういった小さな出版社の本には、どこかぬくもりや遊びごころ、ときにはっとさせられるほどの律儀さもあり、だからこそつきあいを続け、顧客の顔を思い浮かべながら少数を発注しては書棚にならべているのだと、店の主人は語っていた。

 大学教員の研究室などをのぞけば、本棚には専門書がびっしりと並んでいる。教員にたずねると、すべてに目を通しているわけではなく、本によっては必要な部分しか読んでいないものもあるそうだが、それでも、こうした本を読みこなしながら、目の前にいる人の知の体系がつくられてきたのだと思うと、どこかしら信頼感が生まれる。

 本にはまだ信頼がある。それを読むという行為は、暮らしの中に手間と時間を導き入れる作業でもある。知らない文字の意味を調べ、書き手の意図を読みといてゆく作業は、手間と時間を要するが、それこそがじつは楽しみでもあるはずだ。

 「間」は「ロス」なのだという発想が、資本主義の根底には横たわる。ただ、間をはぶけばその分、楽しみも減少する。書店で聞いた電子媒体から紙媒体への移行という事象に、そんな間の復権が見えた気がする。
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