堀辰雄の小説「風立ちぬ」のタイトルは、フランスの作家で評論家のポール・バレリーの詩「海辺の墓地」の一節、「風立ちぬ、いざ生きめやも」からの引用である。大学時代、この詩集を手元に置いていたのだが、ひょんなことで後輩に譲ってしまい、読み返したいときにしまったと思った記憶がある。
「風が吹いた、さあ生きようか」と、呼び掛けるような一文は、堀辰雄の小説を通じて日本人に親しまれ、バレリーがいなくなった戦後も、歌や映画などで繰り返し引用されて、私たちを勇気づける。もっとも、詩の全容はといえば、なかなか難解なものだったはずなのだが。
私たちはいま、待つことができない社会に暮らしている。刹那に生きる私たちは、スケッチや粗削りの草稿で満足し、そこで評価を下す。完成するという観念そのものがほとんど消えてしまった―。と、これもまたバレリーの言葉であり、記されたのは1925年のこと。
当時の日本、とりわけ東京を中心とした関東地方は、2年前に見舞われた大震災からの復興期であり、政治や経済の仕組みが大きく変わろうとしていた。25年にはラジオ放送が始まり、普通選挙法と治安維持法が制定されている。野間清治の大日本雄弁会講談社が雑誌「キング」を発行したのもこの頃である。
市制施行から間もない桐生市でも、変革の波が目に見えるかたちで暮らしにおよんでいた。1923年に初めての自動車が市内に登場すると、25年には桐生ガスが誕生、27年から一般家庭へのガス供給が始まっている。石炭からガス、石油へ、エネルギー革命の先ぶれである。
「じっくり待つこと、変わらないこと。この二つは我々の時代には負担なのだ」。92年前のフランスで、50代のバレリーは繰り返しつぶやいた。大いなるエネルギーの代価を払い、自分の仕事から解放されようと、人びとはやっきになるが、このことが将来の社会に何をもたらすのかと、懸念も示していた。
バレリーの懸念は、私たちがいま直面している問題そのものだ。温暖化を推し進める化石燃料の利用を減らし、再生可能エネルギーに舵を切れと、その動きが新たな産業を生み出す。
今の時代、「風立ちぬ」の風とはいったい何なのか。北風に吹かれながら足を止めて考えてみたいのだが、余裕はなさそう。懸念は今もつきまとう。
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