121回という半端な数ながら年の区切りで「手ぬぐい」の連載を終了した。約4年半続けたことになり、ご愛読に感謝。桐生に残る手ぬぐい、一枚一枚からいろんなことを教えられた▼そもそもは「粋もよう」と副題をつけたように、粋ですてきな手ぬぐいをたくさん目にしたからだ。昭和30年代から40年代に、織都の舞台裏を支えた芸者さんたちがお正月に配った手ぬぐいだった。旦那たちはお年玉を用意する。書くに書けない逸話も多かった▼連載を見て持ち込まれる手ぬぐいも増え、芸者さんから飲食店、各種商店、旅館、会社、神社、山小屋、銀行、そして指圧に英語教室まで、業種は多岐に広がった。最終回は機屋さん。電話番号や住所など入れずすっきり「桐生 村松」とだけ、粋をよしとした。縫い取りお召全盛期だったという▼長さ90センチほどの切りっぱなしの1枚の布だが、拭くかぶる包む巻く飾る、いざというときには包帯がわりに、鼻緒のすげ替えも。落語家にとっては必需品である万能布。はぎ合わせた浴衣を見たときは心底感心した▼年賀に配る習わしは遠ざかったけれど、おしゃれな小物として見直されてもいる手ぬぐい。連載は終わっても、愛し続けていきたい。(流)
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手ぬぐいの粋
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