桐生市出身で映画監督の草野翔吾さんから新作の案内が届いた。9月に公開予定の監督作「にがくてあまい」は、「野菜が苦手なオンナと、女が苦手なオトコの、オーガニック・ラブコメディ」だという。映画づくりという仕事について詳しく知るわけではないが、職人たちによる膨大な作業の果てに、結晶のような一つの作品が生まれてくるということだけは知っている。公開を楽しみにしたい。
そんな草野さんが語った言葉の中に、いまも強く印象に残るものがある。東日本大震災前の2009年に語り合ったときのことだ。「エネルギーを小出しにしていては、大きな力は生まれない」と、そんな内容だった。
情報伝達技術が目覚ましい発達を遂げつつある社会状況と照らし合わせながら、現在は何かを創造するエネルギーが蓄積されにくい時代なのではないかと映画監督を目指す人らしい物のとらえ方に触れ、感じ入った。
あれから7年がたつのだが、監督のもらした言葉の真実味は増す一方なのではないかと、そう思わされる事態に遭遇する機会が、このところますます増えている。通信機器やソフトの発達で、情報の伝達速度は一段と加速しており、はるか遠い欧州の出来事が昼夜を問わず、瞬時に手元にまで届く。EU離脱をめぐるイギリスの国民投票の結果がうっすらと見えるやいなや、世界中の金融市場が即座に反応して、目を離したすきにまったく別の状況に変化しているといった事態である。
「機が熟す」という言葉がある。ものごとを始めるほどよい頃合いのことを指すわけだが、「熟す」には「待つ」という行為が含まれているのではないかと思う。機を待つ時間は、対象を把握するために費やす。熟すまで待てないのが今という時代なのだとすれば、映画の公開にこぎつけた草野さんの苦労はどれほどなのかとしのばれる。
フランス文学者の渡辺一夫さんは戦後間もない頃、機械文明や制度、思想、宗教など、人間がつくり出した仕組みに人間自身がとらえられる状態のことを指して、「人間の機械化」と呼び、戒めを呼び掛けた。機械化した人間は、戦争を相手のせいだと唱え、さらに、運命ゆえなのだと責任を転嫁するという。
自省するゆとりが奪われてゆく状況に、注意を払わなければならない。速さが重視される時代だからこそ、そう思う。
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