「叱る」という意味を、「叱られた体験」に基づいて考えてみた。一通のはがきを手にしてふとそんな気分になったのだ。
病気で入院した父親の姿を見るのが怖くて見舞いに行けずにいた中学生のころ。「それを薄情というんだ」と、母方の伯父に厳しく叱られた。酒好きで家族を随分手こずらせた伯父だったが、博識で情に厚く、思い出すのはいつもその場面である。
人に叱られた経験は多い。子どもだという理由だけで叱られた時代があって、親や学校の先生や親戚ばかりでなく、近所の人や見知らぬ小父さんや小母さんまで、いろんな人の顔が浮かぶ。もちろん社会人になってからもしばらくは、そういう場面と無縁ではいられなかった。
しかし「叱る」ということのより深い意味に触れたのはやはり大人になってからである。
その人は桐生出身の学者の夫人。母親と同じくらいの年格好で、記事に関する連絡の不備があり、当時責任者として電話でお叱りを受けたのが縁だった。
雨降って地固まる。以後の親交は深まっていったが、ビシッと叱られたのはそんな折だ。
欧州の森林視察に誘っていただき、個人の資格で参加する機会を得た。おかげで貴重な体験を積むことができたが、その道中のまちで、私ともう一人の参加者が約束の夕食に大幅に遅れてしまったのである。頭をかきかき店にたどりつくと、「席に着く前にみなさんにきちんとおわびしてください」と、夫人に厳しく戒められて、もちろん二人とも姿勢を正し、謝罪した。
ばつが悪かった。でも、40代の男どもが子どものように叱られる様子に、険しかったみんなの顔が柔和になり、おかげで旅はそれ以後、和気あいあいと心地よいものになったことには触れておかねばならないだろう。
そして後になって気づくのである。夫人はあの気まずい雰囲気を毅然と叱ることで断ち切ってくれたのだということを。
叱られて身がしまるのはそこで示された本気の力である。
年を重ね、こうありたいと願いつつも、誤解を恐れず毅然と本気を示す優しさにはまだまだ遠く及ばないとも思うのだ。
この10年は年賀状のやり取りだけですっかりご無沙汰していたが、今年2月に夫人が92歳で他界したと、届いたはがきは喪中の知らせだった。いまはあの毅然とした姿が懐かしく、感謝の気持ちでいっぱいである。
関連記事: