大事なことは何だろうか。知人が手伝うブルーベリー農園で遊んだ帰り道、考えてみた。
10年ほど前、そこは耕作主のいない田んぼだった。草だらけにはしておけないと、本業を退いていた知人の友人が管理を任された。彼は草だけ刈っても張り合いがないと、ブルーベリーの苗を植えたのである。
田んぼの土では育たない。土壌改良のためにパワーショベルを学び、コツコツと作業に精を出す。その姿を見続けてきたのが知人と、もう1人の友人だ。
無農薬にこだわり、丹念に手をかけて、ブルーベリー栽培はある時期から軌道に乗って、収穫にも一定の見通しがつくようになった。その段階では、60歳を過ぎた2人が手伝うようになっていて、休憩所がほしい、ピザ窯がほしいと勝手を言ってみんなで行動し、やがて農園の体裁が整った。3人を軸に、若い力も積み重ねた結果である。
特に宣伝もせず、口コミだけで5年ほどたった現在。農園はほどよく定着しているようだ。
人件費が発生すれば運営は立ち行かないから、開園中の仲間の役割はボランティアである。
彼らは現役時代、各分野の立派なプロばかりで、ぜいたくはできないが何とか暮らしていけるからと、農園とのかかわりはレジャーと割り切り、持ち出しがあってもいとわない姿勢でいる。そういう関係性で成り立っている実例を幾つか知っているが、もろいようでいて、実はこういう関係が最も強いと経験則で感じるのである。
それぞれが積み重ねたものを互いに認め合う信頼が素地にあり、そこに自分が加われば何かできるとふめば、新しい取り組みに向かっていつでも優先順位を決めていける。そんな柔軟性と機動力とをあわせ持つ。
もちろん、若い世代が暮らしのためにしっかりとした仕事と収入を得たいと考えるのは当然のことだから、生活のために働く世代がかかわっていけるような余力が農園に生まれれば、それがいいと考える人々である。
豊かさには世代それぞれの価値観があっていい。自分自身の経験や意欲が人の役に立つカタチでマッチングし、そこに高齢者の生きがいや若者の将来の夢が育ち、いろんな世代が豊かさを実感できるようになる。ほしいのはそんな領域が誕生することを応援してくれる世の中だ。
参院選の一票を考える、大切なきっかけにしたいと思う。
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