久保貞次郎氏に一度だけ、お会いしたことがある。もう30年前、オノサト・トシノブが桐生の自宅で死去し無宗教の告別式が行われた。バッハが流れるなか参列者は白菊を手向け、久保氏が弔辞を読んだ。その文面をお借りして翌日の本紙に掲載した▼どなたかの仲介で、前に進み出たのだと思う。久保氏は当時、町田市立国際版画美術館長。初めて会ったオノサトは着古したレインコートに金属の水道ホースを巻いた姿。ヒッピーこそ現代の哲学者とし、その独創的な精神の輝きで現実を肯定、新しい絵画に定着させた。短くもすばらしい評伝だった▼そんなことを思い出したのは、長重之氏の話を聞いたからだ。足利高校の学園祭のため真岡の久保邸へ。ピカソ、北川民次、池田満寿夫らを見て、マチスの版画を借りた。それが大きすぎて鉄道で運ぶのに難儀した話も面白かった▼久保氏が持ち帰った多数の西洋の児童画に、自我の主張や対象への愛を見取ったのがオノサトや瑛九。そこから創造美育運動が主張する。子どもの絵の教育は、画家をつくるためでなく人間をつくるためのものだと▼上手くではなく、楽しく自由に思うままに。美術は心を開放して自分を見つめる時間となるはずだ。(流)
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