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「山の日」に標識設置、根本山瑞雲倶楽部

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 初めての祝日「山の日」を期して、旧桐生市最北、江戸時代には信仰の山として盛んに参詣された根本山(1199メートル)の山頂に標識が立てられた。古道復活を願って発足した「根本山瑞雲(ずいうん)倶楽部」(石島万三会長)の呼びかけに応じた人たち34人が集合、柱や看板、途中の道標、スコップなどを代わる代わる背負い担ぎ上げての建立だ。かつては修験道の霊山、当日も回峰行者が居合わせて、除幕後に祝詞をあげてくれた。

 江戸時代には「根本山参詣飛渡里案内」というガイドブックが出版されたほど、関東一円から登拝者を集めた根本山。石祠や丁石などの名残がある。近年は群馬、栃木両県の百名山、森林浴の森や水源の森100選に入り、登山者を引き付けてきたが、特に歴史的な古道の沢コースが荒れ、道標も朽ちてしまい、迷子やけが人が出て危惧されていた。

 地元町会や桐生山岳会OBらでつくる根本山瑞雲倶楽部では、初の「山の日」を目指して7月に沢コースを整備し道標を設置。行方不明になっていた江戸期の鉄はしごを発掘し、渡渉危険地点には丸太橋を架けるなどして当日に備えてきた。

 そして11日。大水で橋が流失、沢の各所が崩落したため、山頂標識は熊鷹山から十二山を回って根本山に至るルートで、参加者全員が順に背負って、担ぎ上げられた。山頂で塩と酒で清めて立てられた標識は、白布をかけての除幕式も。汗をぬぐうと晴れやかな表情が並んだ。

 47年前にも標識の柱を背負って登ったのは栗原保さん(74)と吉田光雄さん(69)。ミツバ山岳部で立てたもので、歳月に洗われ文字は判読しがたくなっていた。「不思議なつながりで、感無量です」と吉田さん。

 最年少は田中智也さん(梅田中2年)。父の孝男さん(56)と一緒に初めて根本山に登った。「もっと楽かと思った」そうだが、初めての山の日に標識設置に加わって「思い出になります。家族でまた来たい」という。

 同倶楽部では今後も登山の安全と古道の復活を願い、活動を続けることにしている。
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