昼どきの食堂で漫画雑誌を開いたら、ちばてつやさんの連載「ひねもすのたり日記」(ビッグコミック)が載っていた。
「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「あしたのジョー」と名作を生み出してきた漫画界の大御所が、日々の出来事やむかしの思い出を一話完結で綴る短編だ。その内容が偶然にも私たちの地域に関係する話だったので、ふれてみたい。
それは文星芸術大学で現在も漫画教育に取り組むちばさんが「翻案」を受ける学生をみていたときのこと。翻案とはおとぎ話を身近な人間にたとえて短くわかりやすいストーリーにする練習だ。その日の課題は「ウサギとカメ」。ところが「ウサギとカメ」の物語を知らない学生が多い。ちばさんは驚いた。
「もしもしカメよカメさんよ」とうたってやると、それを知っている学生はいた。「ポケモンやピカチューは知っていてもウサギとカメは知らない。それが今どきの学生か」と、そんな出来事をかかりつけの医院で話題にした。すると「そのうたを作ったのは私の主人のおじいさんですよ」と女医さんは言った。「金太郎も大黒様も花咲爺もそうですよ」と、そこからの診察室ははからずも唱歌の時間に。
のたり日記には待合室の年配者までそれを楽しそうに眺めているシーンが登場する。そして明治唱歌の父石原和三郎の、私たちにはおなじみの肖像がちばマンガで描かれて、みどり市東町の「童謡ふるさと館」が紹介され、一遍は結ばれていた。
桐生市民やみどり市民は「ウサギとカメ」のうたを聞き、作詞者が石原和三郎であるという説明を耳にする機会が他の地域に比べてずっと多い。しかし文化的な事情は地域を一歩外に出れば様変わりするものだ。そういう世代が存在することは一つの事実として受け止めたい。
しかし一方、唱歌をうたうことで町の医院がなごやかな場へ変わるというのも温かい話である。幾つもの名作で人々を楽しませてきた漫画家の手で、年配者にはいまも心のうたである事実が描かれていた。渡良瀬川流域の文化があらためて広く発信されたこともうれしい事実だ。
そのうれしさとは私たちのふるさと観と密接である。渡良瀬川流域は源流の足尾も含めて分かち難くつながっている。ふだん見過ごしがちだからこそ、今一度足元を確かめる機会にしたい。外からの目を大切にして。
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