桐生を囲む山々は標高はさほどではないが、市街地からすぐに急な登りが始まって、里山というような緩い風情ではない。
低くて急峻で、幾重にも密集して沢が入り組み、そうやって関東平野を足尾連山へつないでいるが、標高が1千㍍を超えてくるあたり、栃木県境に位置しているのが根本山だ。まち中から眺める山容はまさに奥座敷に構える偉丈夫の趣である。
過日はこの根本山に入山した県外者5人が道に迷い、山中で一夜を過ごした。慎重な行動が功を奏して、無事に下山できたことは何よりだったが、中高年の山歩きが盛んないま、自然に親しむ心得や、安全への自覚を高める機会としたいものだ。
一行は山頂からの下山途中に迷ったという。筆者も何度か登った山なので、特に気をつけなければならないポイントがあることは想像がつく。というより、実際に迷った経験がある。
それは友人と2人で初めて根本山に登った若き日のこと。沢沿いの道から鎖場を抜けて日光の山々のながめを堪能し、山頂で休息して、下山を始めた。
あれこれ話しながら、気づくと下山路があやしくなり、遂に道が消え、迷ったと自覚したのは随分下ってきてからである。
地図をみてもわからず、水も食料も余分がなく、話し合って、もう一度登り返し、正規の道を探すということにした。
あの何時間かがとても不安だったことを思い出すのだ。私たちはその日、夕刻には下山できたが、県外者が過ごした一夜はどんなに心細かったことか。
そして以降、私たちの山歩きは水と食料を十分に持ち、不測の事態にもあわてぬように、装備や服装が慎重になった。
反省はいろいろ多いが、2人で一致したのは、登りの慎重さが山頂に着いた時点で薄れていたかもしれないということだ。
平地にあって帰り道は行きよりずっと気が楽である。ただしそれは道が整っているからこそで、山は事情が違う。下山のときこそ慎重にと、後にベテランに教えられた心構えである。
本格的な冬の手前、このシーズンの山は確かに楽しい。そして山は桐生の貴重な観光資源だから大いに親しんでもらいたいが、山は整備された公園ではないから、身を守るのはやはり自分自身である。自己責任という場に自分を置く。そういう責任を果たすことも山歩きの楽しみであると、こう考えたい。
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