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天災は忘れたころに

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 先の桐生市の市民の声アンケートで「防災の具体的な備えなし2割」「水や食料の備蓄なしが半数」という結果が出た。

 これを自分の問題として見直してみると、東日本大震災直後と比較して気が緩んでいるとは思わないが、知らず知らずモノが増えて通路を狭めたり棚に積み上げたりと、生活態度として身についていないことがまだまだ多いと気づき、反省もわく。

 防災とは何か。官民あらゆる立場の人が広い視野から身近なところから、つねに意識を更新していかねばならないと、あらためてそう思うのである。

 1934年の室戸台風は甚大な被害をもたらし、その後の気象予報のあり方を大きく変えるきっかけとなった。教訓を洗い出し、時代にふさわしい防災のかたちを提示し、人々に意識を植えつけていく方法論は、現代もなお試行錯誤の連続だ。

 「天災は忘れたころにやってくる」。寺田寅彦の名言は、弟子の中谷宇吉郎の著書を経て世に広まった。その裏づけとされているのが34年11月に発表された随筆「天災と国防」である。

 高名な科学者が忘れてならないと戒めたものはひとつに「日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために特殊な防備の必要を生じると同様に、特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていること」。そして「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」。これを説明するのに使ったのが、畿内の影響がたちまち全国に波及した直近の室戸台風の実例だった。

 「戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない」。寺田は自然変異をこのように位置づけ、非常時という国際関係の不安と、これをあおりたてるように起きる天変地異とを冷静により分け「悪い年回りはいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないのは明白すぎるほど明白なことであるが、これほど万人がわすれがちなこともまれである」と。そして「少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたい」と書いた。

 防災とは何か。意識の更新を助けてくれる名随筆である。
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