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「間」が省かれるネット空間

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 スマートフォンの利活用法について、子どもたちが抱える課題を紹介する講演会で、デジタルタトゥーという言葉を耳にした。ある画像を誰かの情報端末に送信する。すると、その画像データが人を介して広まり、あとで発信者が消去しようとしても、すべてを消しきれない状態に陥ってしまう。そんな状況を名指す言葉なのだという。ちょうど入れ墨のように、ネット空間に刻印された、消しきれぬ情報といった意味である。

 デジタルタトゥーの呼び名はともかく、こうした状況への問いは、ソーシャルメディアの普及と連れ添うように議論されてきた、根本的な課題でもあるはず。通信環境の整備が進み、スマートフォンの利用者がこれだけ増加した時代になっても、課題は変わらないようだ。

 講演では、スマホのアプリケーションソフトを利用した動画の生放送も紹介された。あるアプリを使うと簡単に生放送ができるらしく、この日、講師がスクリーンに映し出した画面には、部屋でくつろぎながら対話を楽しんでいる中学生たちの姿が映し出されていた。この生放送を見ている人が現在数百人いるということも、カウンターの数字で読み取ることができる。むきだしの個人情報を眺めながら、強い戸惑いを覚えた。

 新しい道具があれば、不安を覚えつつもそれを使いたくなるのが若者で、とりわけソーシャルメディアに慣れ親しんだ世代にとって、生放送ソフトは使ってみたくなる道具なのだろう。

 動画の生放送など、かつては大変な時間と労力と資金を割かなければ実現できない高度な技術であったはずだが、今では手のひらに収まるほどの薄い機器一つで、簡単にできてしまう。不特定多数に発信することへの恐れも強かった。そんな世代から今の状況を眺めると、危うさの方ばかり気になってしまう。

 その場の困難な状況を、とっさの判断で上手に切り抜ける対応ぶりのことを「神対応」というらしい。速さの時代には速さを磨いて対応しようという、彼らのリアリティーが、そんな言葉にも表れているようだ。

 手間や時間など、かつてあった「間」は、人に考えるゆとりを持たせたが、今はそれを省くことをよしとする風潮だ。若い世代はいずれ、新たなネット倫理を身につけるのだろう。ただ、間を持つゆとりをどこかで顧みてほしいとも思うのだ。
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