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絶え間ない努力が大切

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 報道によれば、女川原発の原子炉建屋に海水があふれ出た問題は、弁の開閉を確認する際に作業員が弁の名称の「D(デー)」を「A(エー)」と聞き違えたことが原因だったという。今後は「A(アルファ)」「D(デルタ)」と読み方を変更するそうである。

 世の中で起きる大小さまざまな騒ぎには、その過程のどこかに必ず、担当者の勘違いや思い込みが潜んでいるものだ。

 それは私たちの日常も同じことで、普段はあやふやなものを聞き直したり、読み直したりして未然防止の機能が働いていても、ときにそれがするりと抜けて他者に迷惑をかけてしまう結果になることも少なくない。

 見逃すのは慣れだったり、不慣れなのに確認を怠ったり、心ここにあらずだったり、総じて集中を欠いたときである。

 個人的な体験だが、ある場所で受け付けを済ませ、順番を待っていたら、ほかに待っている人はいないのに窓口は別人の名を呼んでいる。変だと思って確認にいくと明らかな読み違えだったが、原因は当方の乱雑な字にあって、大いに反省した。

 こんなふうに、心構えを改める機会はいくらでも存在する。

 一方で勘違いの少ない人は確かにいるが、こういう人に限って、人間はうっかりするという前提に立ち、対策している。記憶力がずば抜けていい人ほどメモ書きを怠らないものだ。

 先日、東京の知人から電話をもらった。始めに奥さんが電話口に出て「主人は耳がすっかり遠くなっているので一方的なごあいさつになります」と断った上で本人に代わり、それがすむと再び電話口に出て、幾つかの必要な情報をやりとりした。

 感心したのは、間違えやすい言葉や数字は別の表現で念を押し、少しも慌てず、慎重に聞き取っていった態度である。

 おそらく知人が長い間携わってきた仕事の性格上、間をつなぐ役目として奥さんにしっかり身についていることがあり、人に伝えるということの意味の重さとか、集中を保つ緊張感とかがこちら側にいてもありありうかがえた。大切なのは日常の姿である。勘違いを防ぐ努力に終わりはないということなのだ。

 世の中の過ちは常に他山の石として、間違いやすい要因を取り除くと同時に、伝達の質を保つ緊張感がなければやがてまた同じような間違いを犯すことになりかねないという思いをもって、いっそう引き締めたい。
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