桐生市本町三丁目町会(原勢隆一町会長)の所有する祇園屋台の車輪の修繕作業が、栃木県鹿沼市にある乾樫木工所で進んでいる。1月29日には作業の進捗(しんちょく)具合を見ようと、本三町会の役員らが作業場を訪れたが、思った以上に傷みが激しく、新調する部材が増えるという。
桐生祇園祭の応援団「桐生の文化遺産継承発信事業実行委員会」(奈良彰一委員長)が、文化庁の補助を受けて取り組んでいる修繕の一環。
幕末の1859(安政6)年に完成した本町三丁目祇園屋台は、1958(昭和33)年にお披露目されたのが最後。その後は町会の倉庫内に解体された形で保存されている。
桐生の文化遺産継承発信事業実行委員会では昨年までに、全6町会が所有する各屋台の車輪を検証した。その結果、本町三丁目町会の車輪についてはどうしても修繕が必要と判断した。
昨年5月、修繕を請け負う乾樫木工所の乾芳雄さんらが桐生を訪れ、4輪の巨大な車輪を運び出した。
その後、作業に取り掛かったが、損傷が思った以上に激しく、当初予定していた「輻(や)」と呼ばれるスポーク部分の新調だけでは済まず、中心部以外はほぼすべて新調する必要があることが判明。手間のかかる作業を進め、ようやく四つの車輪が姿を見せた。
見学した本三町会の役員らは、直径約1・5メートルの車輪の大きさに、改めて驚いた様子。職人である乾さんから、複雑な修繕の工程について詳しい説明を受け、大きくうなずいたていた。
予算については当初の予定通りで、今後、旋盤で周囲を削り、車輪の外側に鉄板を巻き、仕上げをする。
原勢町会長は「これから100年は持ちそうな立派な車輪になりそう。屋台の上の部分についても必要ならば修繕をし、近い将来、祇園祭で組み立ててみたい」と意欲を見せていた。
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