帰宅途中、どうしても気になる光景に出くわすことがある。夜、自転車に乗って家路を急ぐ高校生たちの姿もその一つだ。
気になるのは自転車の乗り方などではなく、道路の暗さの方である。ところどころにある街路灯の明かりはあまりに弱く、道路はほぼ真っ暗。塾や部活などで遅くなった帰り道、心細い思いをしているのではないかと、追い越す自動車の運転席から、つい同情を寄せてしまう。
住宅地からそれほど離れているわけではなく、朝夕の時間帯や日中ならば、人や自動車の往来も少なくない。決してさびしいかいわいではないのだが、夜が更けると状況は一変する。人の往来は、ほぼなくなる。
明るいヘッドライトのある自動車ならば、不安を抱くこともなく走行できるのだが、自転車のライトだけでは心もとない。
こうした光景には市内のあちこちで遭遇する。学校から離れた夕暮れどきの通学路では、街灯の少ない道を通って家路を急ぐ子どもたちの姿を見かけることも多い。最近は防犯だけでなく、野生動物との遭遇なども懸念される。一人で帰宅するとなれば、不安要因はますます増幅するのではないだろうか。
東日本大震災の後、福島第1原発事故のことが心の片隅から離れず、エネルギーの使い方が気になるようになった。暮らしの中の明かりを見渡しても、従来の蛍光灯や白熱球から、消費電力の小さいLED照明への切り替えは着実に進んでおり、まちなかを歩いてみても、街路灯や商店の明かりのトーンはだいぶ落ちてきたなと、そんなふうに感じる機会も増えている。
電灯は文明の象徴で、明るいことが経済の繁栄を裏付ける一つの指標であった時代は過去となり、暮らしに適したほどよい明るさを求めようとしている現在の傾向に、小さな希望を感じることができるし、これから後戻りはおそらくあるまい。
不安要素の多い原子力電源に頼らずとも暮らせる社会をつくるには、無駄なエネルギー消費を減らすという視点が肝要だ。
ただ、ここはもっと明るくした方がいいと思えるような場所があることも事実。子どもたちが通学で利用する道路などもその一つで、できればもう少し路面を明るく照らし、彼らが不安を感じることなく往来できるようにしてあげたい。自動車のドライバーにとっても、それは安心に結び付くはずだ。
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