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開戦の日に思う

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 1941年の12月8日、日本は米国、英国に対し宣戦布告した。同日、未明のハワイ真珠湾を、日本海軍の戦闘機や潜水艦が攻撃し、米国の太平洋艦隊に甚大な被害を与え、戦いは世界大戦の様相を帯びる。戦後に生きる私たちは、すでに結果を知っており、当時の米国を相手に戦いを仕掛けたことの無謀さを、多くの人が理解している。

 31年の柳条湖事件を皮切りに日本は満州を占領し、当時の中華民国や米国、英国などとの対立を深める。やがて中華民国と開戦し、日独伊三国同盟を結び、ついに米英両国との開戦へと至る。先日、取材先で「開戦の詔書」を読む機会があったのだが、そこには、自国の民に対する為政者たちの言い訳のような文章が綴られていた。

 東アジアの安定を求めて外交にあたってきたが、不幸にして米英両国との開戦に至った。このことはやむを得ざることなのだと、そんな開戦の弁である。議論を尽くしたが日本の意図はわかってもらえない。話し合いによる解決の見込みはすでになくなった。だから自存自衛のため、開戦するのだという。

 戦後70年がたった今、日本がどうして戦争を回避できなかったのか、研究者や評論家がさまざまな観点から史実に踏み込み、議論を深めている。ただ、絡まりあった糸を解きほぐす作業は、容易なことではない。

 戦争を始める国にとって、戦いはつねに自衛のためであり、それ以外の言い分は自国民にもほかの国々にも受け入れられない。それまでの外交が不調に終わり、衝突をめぐる解決の道は閉ざされ、追い詰められた揚げ句、暴力にすがるわけで、いわば最終手段である。宣戦布告はだから、国民に対して外交の失敗という負い目を抱えた為政者の言い訳ともいえるはずだ。

 欧州で米国で、テロによる死傷事件が相次いでいる。為政者は強い言葉で首謀者たちを非難する。それは自国民に対するメッセージでもある。ただ、本来は外交という知恵で解決を図りたいのに、それがかなわないもどかしさが言葉につきまとう。

 1980年の同じ12月8日。ニューヨークでジョン・レノンが暗殺されるが、彼の曲にあるように、人のつくった国や宗教がなければ争いもなくなるのかと想像し、そうではないと否定する。国も宗教も本来は人びとの暮らしを守る知恵のはず。人の英知が試されている。
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