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醸造のまちの決断

 みどり市大間々町の中心街は群馬県内最大の扇状地の上に開けている。その特徴的な地形を見下ろしながら楽しめるのはまち中に形成された「ママ」と呼ばれる段丘崖のおかげだ。

 特に大間々高校あたりの比高はおよそ15メートルと、最大である。

 大間々出身のある一定の世代までは、高校の隣にある中学校が小学校であった時代を知っている。まちなかの子どもの大半は急坂を上って通い、下校の際はときに坂を走り、街並みに飛び込むようにして、みんなで家路に着いたことを思い出す。

 もちろんいまの中学生にも同じ体験はあるだろう。ただ、小学校時代の出来事はまっさらな画用紙の下書きのごとくだ。記憶はぐっと深いところにある。

 広い校庭の淵に立って、街並みの向こうに要害山を望み、その麓を流れているはずの渡良瀬川を思い、教室の窓越しに今日の夕飯は何だろうと想像して過ごした日々を振り返るとき、この情景がベースになるという人はたぶん少なくないはずだ。

 そして、この絵の構図の要はやはり、造り酒屋や醤油の醸造元の古い店構えや煙突だろう。

 日本人の食文化は発酵という現象をきわめて、いちだんと豊かになった。仕込みの季節になると、木枯らしの中で煙突が熱気を帯びる。そんな風景がつい先年まで、ここではあたりまえに展開されていたのである。

 宝暦年間の開業で、大間々町では最も古い蔵元であった奥村酒造が廃業したのが2013年である。その店蔵跡をみどり市が取得して、今後、大間々の象徴的建物として活用していく方針が、2日に開かれた市議会の本会議で明らかにされた。観光物産協会の事務所や観光ガイドの活動拠点として、歴史的建物の保存活用と共に観光振興を図っていきたい考えだという。

 あの学校坂を通った日の思い出を共有する一人として、町の情緒や地域文化と密接だった商いの店の灯が消えたあとのことが気になっていただけに、まずは朗報と受け止めたいと思う。

 欧州などでは産業遺産への関心は高く、時代を担う新しい産業や公共の機能が歴史的な建造物を守る役割を担い、補修して使っていくような関係もできているが、日本でもそんな選択肢が王道となってほしいし、よい先例となってもらいたいのだ。

 今後の活用の仕方次第でさらなる可能性を広げることになるだろう。期待したい。
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