今年9月、県繊維工業試験場が長野県上田市にある信州大学繊維学部と連携協定を結んだ。先月、信大繊維学部の下坂誠学部長が繊工試を訪れ、繊維学部の自己紹介をしたのだが、そのときの話が強く印象に残る。
同学部の前身・上田蚕糸専門学校が誕生したのは1910(明治43)年。群馬大学工学部の前身・桐生高等染織学校の創立よりも5年早い。当時の上田は蚕都(さんと)と呼ばれ、明治以降の日本の蚕糸業をけん引する産地の一つだった。高等教育機関の設置は、地元の要望にこたえたもので、桐生高等染織学校の設立経緯と似ている。
戦後、日本の産業構造が変わる中で、繊維には斜陽産業のレッテルが貼られる。70年代以降、大学の看板からは「繊維」の文字が消えてゆく。群馬大学工学部の学科から繊維が消滅したのは89年のことだった。
同じ頃、信州大学でも「繊維学部の名称を変えるべきだ」といった声が上がった。それでも学部が残ったのは「地元の産業界、同窓生、市民からの『繊維の灯を消すな』の声が強かったからだ」と下坂さんは話す。
潮目が変わったのはその直後。21世紀に目指すべき学術研究施策として、文部科学省は「卓越した研究拠点(COE)」を育てるため、研究費を重点配分する事業を始める。信大繊維学部はこの事業に3期連続で選ばれ、飛躍の時期を迎えた。
繊維をファイバー、つまり「細くて長い一次元の材料」に読み替えた。すると研究対象は工・医・農・理の分野に拡大した。教員の意識改革にも取り組んだ。つねに繊維やファイバーを念頭に新しい対象に興味を持とう。大学教員が心がけた姿勢だ。今では「日本で唯一の繊維学部」として、国内繊維研究の拠点という地位を確立している。
当たり前の話だが、学問に「最先端」という分野があるわけではなく、それぞれの学術分野や学際分野に最先端がある。繊維を時代遅れの研究テーマとした時点で、多くの大学は流行のテーマを追いかけるレースに乗ってしまったのではないか。
一時期、地方大学はミニ東大化を目指した。その結果、地方都市の郊外同様、大学は似た顔を持つことになった。その土地の風土と、大学研究の個性とは、本来切り離せないはず。むしろそこからどう世界を目指すのか。地方大学が向き合うべき不変の課題でもあるはずだ。
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