桐生で手広く魚問屋を営んだ「魚萬」の次男に生まれ、15歳でエッチング(銅版画)研究所に通い、東京美術学校(現在の芸大)で油絵を学び、絵を描き続けて97歳になった笠木實さん(東京都小平市在住)の足跡をたどる企画展が、桐生歴史文化資料館(本町二丁目、矢野園南側)で始まった。各方面で活躍しながら市民にあまり知られていない桐生出身の画家を、その出自とあわせて紹介している。7月2日まで(午前10時~午後4時、月曜休館)、入場無料。
玉川上水そばで長年暮らし、アトリエだけでなく寝室にもびっしりと自作を飾っているという笠木さん。今回は同館運営委員の川嶋伸行さん、丸山正実さんの訪問を受けて思い出を語り、作品を貸与してくれた。
戦前の貴重なエッチングが2点。中学生でプレス機を買う恵まれた環境と早熟さで、版画協会展の紀元2600年賞を受賞した「のぶ」のモデルは魚屋の小僧たち。すこやかな労働に一瞬の哀感が漂う。「裸婦像」は「警察に引っ張られて1週間くらいさんざん叱られた」といういわくつきで、桐生でもようやく、叱られることなく公開されている。
戦後はミノリ文化服装学院に設けられた油絵科で指導にあたる。その縁で笠木さんが学院長(市長夫人)を描いた油彩画「前原癸未子像」が旧前原邸に残っており、2015年に大川美術館に寄贈された。
前橋の南城一夫、続いて上京して岡鹿之助に師事。1962年パリに留学、アトリエから広場を描いた小品が今回出品された。武蔵野美術大学で教え、春陽会に出品し続けてきた。画文集に「岩魚の谷・山女魚の渓」「カワセミの歌」など、挿絵も多く手掛けた。
創業が天保年間とも明治初期ともいわれる「魚萬」についてもコーナーが設けられた。三代目萬吉は相老駅そばに桐生製氷凍化工業株式会社を設立、夏はプールにして開放し、市会議員、バス・タクシー業も始めるなど活躍。長男の茂は家業のかたわらバイオリン教室を開き、次男が實、三男の求は工学博士という多才な兄弟だった。
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