先月21日発生した軌道検査車両の脱線事故を受け、線路の点検・補修作業に取り組んできたわたらせ渓谷鐵道が、10日から全線での運転を再開した。
10日付の本紙で、運転再開を待ち望んでいた沿線の高校生や若者の声が紹介されていたが、渡良瀬川の谷あいに暮らす人たちにとって、わ鐵は欠かすことのできない公共交通機関なのだと、改めて認識させられた。
事故がなぜ起きたのか、原因究明にはしばらく時間がかかりそうだ。ただ、単純な疑問として、事故を起こした検査車両が間藤方面に向かう際、水沼―花輪間でどんなデータを取得していたのかが気になる。
事故は間藤からの帰りに発生した。行きと帰りとでは運転速度などに違いがあり、レールにかかる負荷も変わってくるはずだが、こうした点を考慮して分析を進めれば、事故発生の詳細なメカニズムや発生の条件などが読み解けるのではないか。
人的被害がなかったことは不幸中の幸いだ。鉄道ファンが偶然撮影していた貴重な映像資料なども残されている。鉄道事業者にとっては苦い体験に違いないが、今回の失敗から得たデータを丹念に読み解くことで、これからの鉄道安全政策につなげてほしいと、切に願う。
重い車両を支える軌道である。線路は日々摩耗し、敷石は少しずつ砕ける。路線環境は刻々と変化する。事故を防ぐには、こまやかなメンテナンスが欠かせないはずだが、昔の鉄道事業のように、経験豊富な保線員が線路をくまなく点検できる時代ではなくなっている。
効率性を重視する現代では、できるだけ少ない経費で必要な安全性を確保することが要求される。ただ、安全には本来コストがかかるし、その費用は誰かが負担しなければならない。
経済学者の宇沢弘文さんは、道路や病院、学校などと同じく鉄道もまた地域住民の基本的権利を充足するために必要なインフラだと指摘する。公金を投下して行政が整備する道路に比べ、鉄道の場合、基本は利用者負担の仕組みであり、負担増は運賃として利用者にはね返る。
道路も鉄道も、渡良瀬流域の住民の暮らしを支える社会インフラなのだとすれば、わ鐵を支える意識は、利用者はもちろん広く地域住民にも求められるのではないか。移動手段の多様性確保のためにも、そんな自覚がますます大切になるはずだ。
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