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落ち葉掃きの風景 

 昭和の発展期に敏腕を振るった関口義慶二桐生市長は、1940年に退任し、45年2月、終戦を知らずに64歳の生涯を閉じたが、晩年の姿は、西小学校へ通う子どもたちだけが知っていた。元市長という肩書ではなく、毎日通学路を掃いてくれていた小父さんとして。これは80代後半より上の人々の記憶だ。

 商店街の朝、店の街路樹の葉をせっせと掃き集めている姿はほんとうにすがすがしい。寺社の参道や下町の路地は、むかしから、両側の人が道の真ん中よりも少し余計に掃き清め、一番きれいになったところをお客に歩いてもらっていたという。

 そういうことを態度で教えてくれたのは先人であり、通る人はかならず、ねぎらいの声をかけていく。地域のつながりが生きていることを、こういう場面が気づかせてくれるのである。

 高校生たちがいま、コロンバス通りの沿線や新川公園の周辺を、始業時間前に丹念に掃き清めている。車で通り過ぎるだけで、ねぎらいの言葉をかけることはできないが、若い人の取り組みに元気をもらう人は多い。

 師走というにはあまりにも温暖で、海外では温かすぎるクリスマスに戸惑いもあるようだ。

 先の国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議では、世界の平均気温の上昇を産業革命前から2度未満に抑え、今世紀後半に温室効果ガスの排出を実質ゼロにする目標も掲げられた。

 その目標を達成するためにさまざまな努力が求められる私たち。できること、できないことが多々ある中で、緑との関係はより科学的に理解し、共存することの意味は、きちんと見つめ直していきたい事柄である。

 温室効果ガスと樹木との関係はいま、専門機関で盛んに研究と調査が行われている。樹木も含めた植物は、私たち人間と同じように生きていくための呼吸もするが、より以上の二酸化炭素を吸収して成長する。水資源との関係もきわめて重要だ。

 葉は、大気と植物のやり取りをつかさどる。落ち葉が散るのは、その役割を終え、再び土に戻っていくための移動である。

 問題の解決は一様にはいかないものである。ただ、現代文明が引き起こした状況と向き合っていくために心したいのが「いいとこどりはできない」ことである。そんなあれこれを考えさせられた落ち葉掃きの風景。

 未来につないでいきたいものである。
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