来年の桐生祇園祭で天王番を務める桐生市本町三丁目町会(原勢隆一町会長)は8、9日、所有する祇園屋台の部材を倉庫から運び出して損傷具合を調査する。1958(昭和33)年のお披露目を最後に、約60年も町会の倉庫内に解体された形で眠っているため、保存状態は「見当が付かない」と原勢町会長。当日は専門家立ち会いで調査し、修繕費を計上。予算が組める金額であれば計画的に修繕を行い、「再来年度以降の祇園祭で披露できれば」と話している。
桐生の祇園屋台は幕末から昭和の戦前にかけて制作され、本町一―六丁目の各町会が所有。本町三丁目以外の祇園屋台は平成以降に披露されているが、本町三丁目は1958年を最後に披露しておらず、復活が待たれている。
調査のきっかけは、桐生祇園祭の応援団「桐生の文化遺産継承発信事業実行委員会」が文化庁の補助を受けて取り組んでいる修繕活動により、今年春に屋台の車輪が修繕されたこと。また、天王番を迎えて機運が高まっているのも踏まえ「今が良い機会」と判断した。
今回は、倉庫の奥に眠る屋台の車輪以外の部材を調査。本町三丁目の若衆「三光会」とお抱えのとび職「町内頭」が中心となり、人力で同町市営住宅裏の広場に部材を広げ、不足や傷みを確認する。
また、屋台には設計図が無く、組み立て経験者がいないため、損傷の把握と同時に組み立て手順も確認する予定だ。
原勢町会長は「披露が現状で実現可能かどうか、この2日間でみえてくる。三丁目が充実感を持って活動をしている今、やれるだけのことをやりたい」と、約60年ぶりの披露を目指し、意気込んでいる。
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