9月15日付当欄でふれた「カスリーン台風70年、つながれる心」にはその後、被災の体験を現代にしっかりと受け継いできた人びとからの反響があった。
中から二つ、紹介しておきたいと思う。一つは1947年の水害で家族と家を失った中島隆次郎さん(94年、76歳で死去)が犠牲者の三十三回忌に建てた桐生市菱町一丁目の水難供養碑の前で、2組の被災関係者の家族が鉢合わせした話である。
隆次郎さんのお孫さんはいまも毎年、供養のために家族と同碑を訪れている。ことし、記事を読んで碑をお参りしてくれた方と現地で偶然会って話し、カスリーン台風被害が想像を超える出来事であったことを「あらためて痛感しました」と、メールで弊社に報告してくれた。
そして孫として、家も家族も何もかもが流されてしまうという絶望のなかから懸命に立ち直った祖父の姿を想像し、そのことが自分の命につながっていることを思い、感謝の気持ちでいっぱいになったそうである。
記者は「桐生の戦後50年」企画でカスリーン台風を特集した折に隆次郎さんを訪ねた。すでに他界され、取材は果たせなかったが、きっとどこかで見てくれていたのだろう。こうして20年後に答えを届けてくれた。
もう一つは「論説を読んで3年前になくなった主人のことを思い出しました」という婦人のお話である。ご主人は11歳のとき、大水害に遭った。家は現在の樹徳高校近くにあって、母に連れられて増水する新川をきょうだいと共に渡りきったが、父親だけは、荷物などを守るため家に残ったそうである。堤防決壊は直後に起きて、父親の遺体は見つからなかったという。
雨が降るたび、ご主人は水害を思い出し、災害のたび、被災者の境遇に胸を痛めていた。その言葉を傍らで聞いてきたご婦人は、代わって伝えておきたい気持ちになったそうである。
カスリーン台風では多くの尊い命が失われた。それから70年を経ても、一人ひとりの思いと力で、体験は確実に受け継がれていた。おそらく、これからも連綿とつながれていくと、いまは心からそう思えるのだ。
つなぐ関係は常に人と人、しかも一本の糸である。でも受け継いでこられたことのありがたさを忘れず、感謝を込めて手を合わせる姿には、それが生かされてきた者の努めだという心が伴っている。この糸は強い。
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