東京都の都電の敷石を銀座の舗道に再加工したのはみどり市東町の石材業者たちである。
その現場を踏んだひとりとして、足尾線と共に歩んできた沢入の石屋の誇りを語ってくれた蜂須貞春さんが3年前に亡くなっていたことを、ある法要で同席した関係者の話で知った。
蜂須さんはわたらせ渓谷鐵道の沢入駅で続くあじさい祭り誕生の功労者でもある。往時の沢入のにぎわいを知るがゆえ、過疎の現実から目をそらしていられないと、胸中を語ってくれたのが12年前の夏、たくさんの花に彩られた駅のホームである。
業界の機械化がまだ進んでいなかったころ、蜂須さんは、現場へ向かう日の朝早く、その仕事場で作業がはかどるよう、道具の打ち直しなど、微調整を丹念にこなすのが日課だった。
変化を見極める目と、対応の術を黙々と模索する日々。こうして蜂須さんの道具はすべてオリジナルになったという。
あの日聞けなかった話がこんなふうに補足取材できた。きっと何かの縁だと思うのである。
2017年もまた、お世話になった方々が次の世界へ旅立っていった。とりわけ、技の世界で余人に代えがたい仕事をこなしてきた人々が、ひとり、またひとりと逝ってしまった。
取材だけでなく、実際に依頼した仕事を通じ、職人の毅然とした魂にも触れた。もっと話がしたかったし、もっと仕事を見せてもらいたかったと思う。
思い起こせば、この人たちもみんな自分だけの道具というものを持っていた。作り込んで独自に進化させていた。
求められる仕事がなくなれば必然的に消えていくのが技の宿命だ。直して使うことより、新しく買い換えるという消費行動と価値観によって、私たちの身の周りからたくさんの技がなくなっていった。道具も同じ宿命をたどる。そして現場の特性を掘り下げて工夫を重ねる職人の目も機械化の陰に埋もれがちになって、それが人の判断が軽んじられる昨今の風潮を招く遠因となっている。
ただ自分自身の生活を考えたとき、健康や安全のすべてにおいて、頼れるのは仕組みを見極めて工夫するという技の世界の視点を私たち一人ひとりが持つことであり、これこそが新しい時代の生活観だとも思う。
暮らしがブラックボックスとならぬよう心がけたい。当欄次回は1月5日。よいお年を。
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