85歳の男性が運転する乗用車が自転車通学中の2人の女子高生をはねた。被害者は意識不明の重体だ。加害者の家族はこういう事態を心配し、日ごろから免許返納を勧めていたという。
始業式の朝、前橋市の県道で起きたこの事故の報道を、いたたまれない気持ちで読んだ人は少なくないはずである。
高齢の親が現役で運転している家庭にとって、今回の加害者家族の立場は決して人ごとではない。被害者とその家族への申し訳なさ、そしてなぜもっと強く返納させなかったのかという後悔の念に苦悩する家族の姿を、自分自身に重ねていたのではないだろうか。
親から「私は大丈夫」と言われれば、明らかに認知症などのおかしな症状でもない限り、家族といえども返納を強要することはなかなか難しいのが現状だ。 でもはた目に危ないと映る運転はやはり危ないのだ。他人に迷惑はかけられないと考えて、小さな事故を機に免許を返納させた家族の場合、外出の送り迎えの負担は確実に増えたが、気持ちは随分軽くなったという。
別居の親を説得して返納させた人は、電話での親の愚痴を聞いてなだめるのが仕事になったが、そうやって負担を受け入れる覚悟が必要だと言った。
また、独居の知人は80歳まで運転していたが、車庫入れの危うさを見かねたガソリンスタンドの店員に返納を勧められ、徒歩とバスの生活をその後10年続けていたことを思い出す。
むろんこれらは代替の足が確保できる人や、返納を納得した人の話だが、悲惨な事故と隣り合わせの現実を知れば、周りの見守りと対応は重要である。
特に今回の事故を人ごととは思えなかった人の今後の行動は肝心だ。深刻な事態を招く前にやっておくべきことは何か。それぞれの事情を家族で話し合って、負担を分かち合えるような解決策が導き出せるといい。
一方、車との関わり方が多岐にわたる団塊の世代が後期高齢者の仲間入りをする時期も差し迫った未来である。しかも家族単位が小さくなって、これに伴って、家族の見守りの力に頼れない運転者も増えてくる。
そうした状況を冷静に受け止めれば公には実態に即した更新手続きの見直しも必要だろう。
加えて、自主返納に向けた心の準備は、運転者一人ひとりが心身ともに元気なうちに整えておかねばならない。
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