桐生のパチンコ産業の繁栄を支えたのは織物産業で育った多種多様な人材と技だった。新しいアイデアをいち早く形に起こすことができたからである。
フットワークの良さとかゆいところに手が届く環境は、一つの産業が次の産業の鋳型となる可能性を広げていく。こういう関係性こそが持続可能な社会には不可欠だと思われるのだ。
先日、建設業界に携わる人とじっくり話す機会があった。
代々続いている工務店を例にとって、その周囲には基礎工事や内装、外装や水道など、さまざまな職人がいて、それぞれが2代、3代と続いているケースも少なくない。「私は、これは大事な教育機関じゃないかと思っているんです」という。
この環の中に属し、立派な仕事のあり様を教えられ、鍛えられ、そうやって成長して後を継いだ人や、他の世界で経験を生かした人を何人も見てきた。
この関係性の継続が危機的状況にあることは、むろん今に始まった話ではない。小規模な建設現場への大手の進出は誰の目にもあきらかな現実である。
経済原理からみれば、それぞれに自助努力が求められる問題である。けれども、仕事がなければ消滅していくこれらの人々は、仕事以外でも助け合うことをたたき込まれ、小回りの利く役割を果たしてきた。いわば社会の多様性の担い手である。その喪失は私たちが理想とする社会の姿とかけ離れている。これは建設業界だけの話ではない。商店しかり。自然界と同様に人間社会も多様性の危機なのだ。
といって、国や自治体の対策の恩恵はなかなか届かない部分にこそ、こういう役割があるのが世の中である。まずは私たち自身がどうすればこうした危機から回避できるのかを考えたい。
「米国の銃の問題があるでしょう。なぜ規制が進まないのかと、日本人には不思議に思えるけど、米国の市民社会は国の規制を望まない軸がはっきりしているから、差別と決然と戦う立派な態度と、銃が事実上野放しという危うい部分が平然と共存していられる。銃の問題は絶対日本の方がいいけれど、市民社会の覚醒は必要な時だと思いますよ。国の政策に頼るのではなくて、社会の機能として個の仕事の大切さを認識し直し、必要なら、それを促す政策を国や自治体に求めていく。そういう成熟した社会を目指したい」と。
心に残る話になった。
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