Quantcast
Channel: ウェブ桐生タイムス
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2430

限りある時間

$
0
0

 人にはそれぞれ「時間」というさだめがある。その事実を受け止め、自分の夢にまっしぐらに進み、人を思いやり、分かち合いながら、純粋に力強く、正直で優しい生き方を貫いた一人の青年棋士の物語を読んだ。

 大崎善生さんのノンフィクション、2000年出版の「聖の青春」(講談社)である。

 折しも第74期将棋名人戦のさなかだが、作品の主人公は羽生善治名人(45)と同世代で好敵手でもあった村山聖八段。将棋界最高峰のA級に在籍したまま29歳という若さで逝去した。

 本の中の印象深い一節は『その声は「2七銀」で突然に止まった』。遠ざかる意識の中で将棋を戦っていたのか、ベッドでつぶやいた最後の一手である。

 亡くなったのは1998年だから、すでにたくさんの時間が流れている。勝負師には似つかわしくない童顔は、テレビでおぼろげながら覚えている。しかし重い病を抱えながら、最後の最後まで名人位を目指して命がけで戦っていた壮絶な生きざまは本を読むまで知らなかった。

 昨今は何かにつけて人工知能が話題となっている。囲碁の世界では最強棋士の一人が人工知能との五番勝負に敗れ、衝撃が走ったばかりだ。将棋においてはすでに人工知能が優位性を発揮していて、この先人工知能はどこまで進化していくのか、多くの人の関心が集まっている。

 ただ、人工知能がどんなに優れた仕事をこなしても、感動の領域に踏み込むことはないだろうと、本を読み、感じた。

 人の心を動かしていく要素はそこにかかわる人が持っている時間の質だ。そして時間に限りがあるからこそ、人は誰かのために懸命になれるのである。

 科学は自然の理を解き明かしつつ、人の暮らしに役立つ技術を営々と磨き上げてきた。

 その世界で評価されるのは効率であって、究極的には永久機関のような、限りない時間を理想にすえている領域である。

 「人工知能は強い」と感心はしても「聖は強い」という感動とはどこまでいっても交わらない。そもそも二つは見ている方向が違うのだ、とも思いたい。

 村山八段の生涯は家族や師匠の愛情やライバルの友情やその生きざまにほれ込んださまざまな人のぬくもりに包まれていた。

 この原作が今秋映画になるという。きっと時代が求める何かがあるのだ。月並みな言い方だが、おすすめの一冊である。
関連記事:


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2430

Trending Articles