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修復費用捻出へ例祭で冊子販売、石鴨天満宮

 新緑にシダレザクラが映える旧桐生市最北の梅田・石鴨地区。天正元年~2年(1573~74年)に遷座されたという天満宮が、桐生川右岸の高台に鎮座する。現在は地区唯一の氏子となった藤生家の祖先、藤生六右衛門(由良家重臣・藤生紀伊守の三男)が、菅原道真公木像をご神体としてまつったのが端緒と伝わる。毎春4月29日に例祭を行っており、参拝者にお札を渡し赤飯をふるまう。藤生順朗さん(65)、洋子さん(58)夫妻は今回、社殿や社務所の修復費用にあてようと、天満宮の由来や根本山信仰をまとめた冊子を販売する。

 「石鴨鎮座・天満宮」と「霊峰・根本山」「根本山神信仰」「根本山の民話」は、桐生の民話採録で知られる清水義男さん(82)=桐生市境野町七丁目=が丹念に調査してまとめ、自ら印刷製本して寄贈したもの。

 それによると、神像は紀伊守の守護神で、これを背負って戦陣に臨んだ。三男の六右衛門は主命によって、敗走して根本山中にこもった桐生氏残党への目配りをするため石鴨に配置され、天神を祭祀(さいし)。永住した。石鴨の社殿は桐生川の洪水で梅原まで流出、さらに赤城森(天神町)に遷座した天満宮が桐生新町総鎮守になった。

 石鴨天満宮は再建されて「本家」を誇り、明治に入って村社に。藤生家が氏子総代をつとめてきた。江戸末期には彦根藩主井伊直弼が根本神社を祈願所に定めるなど根本山神信仰が盛んになり、ガイドブックが発行されるほど大勢の人々が往来した。義経主従の山越えや黒幣天狗、大力女などこの地に伝承されてきた民話も多い。

 山の神と川の神に学問の神も守る聖域で、「父(勇さん)の話もまとめてくださり、写真もお上手で清水先生に感謝です」と洋子さん。社殿や社務所は老朽化が進んでおり、屋根を塗り直して雨漏りを防ぎ、床を張り直すなど少しずつ修復している。冊子の代金もその費用に充てる。

 29日は午前11時から神官が祝詞を奏上、直会のあと、石坂亥士さんが神楽太鼓を奉納。「かぐらだぶらプロジェクト」の子どもと大人が地区を練り歩く。

 問い合わせは藤生さん(電0277・32・0074)へ。
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