新緑が美しい季節を迎えている。通勤途中に毎日眺めているいつもの山の木々の景色も、明るい緑色がもえたつようで、ほれぼれするほどみずみずしい。四季を通じた落葉樹の変身ぶりは、私たちの生活時間に大事な節目を与えるとともに、ひとたび眠り、ふたたび目覚めるという、安らかで規則正しい自然観をもたらす。木々とともに生きているという実感は、生き物にとってかけがえないものだ。
先日の本紙に、足利市内の高校生たちが小俣地区の山肌に山桜などの苗木を植えるという記事が掲載された。昨年11月には尾根を隔てた桐生市菱町の側でも、地元の子どもたちが広葉樹の苗木を植樹しており、これで桐生と足利の両面から、山火事の跡地に山林を育ててゆく活動がスタートしたことになる。
2014年4月に発生した大規模な山林火災によって、菱町から小俣町にかけて東京ドーム56個分もの山林が失われた。ひとたび木々が失われた山肌に、緑の回復は遅く、新緑のこの季節になると、地肌のむき出しとなった焼け跡がくっきりと浮かび上がる。山林の自然回復には遥かな時間がかかるのだろうが、そこに人が手を貸すことで回復までの時間を縮めようというのが植樹活動の狙い。
それでも元の状態に戻るまでには50年、100年といった長い時間が必要となるはずだ。こうした木々の視点に立ち、今の私たちの暮らしをとらえ直してみると、普段は隠れていて見えない価値観が浮かび上がってくるようで、考えさせられる。
光合成による二酸化炭素の排出抑制効果は、苗木の成長とともに機能する。一方で、木々が順調に育ち、木材として活用できるようになるまでには、あと数十年という時間が必要となる。造林には世代を超えて事業を引き継ぐという視点も求められる。土砂災害の防止にも、長期の視点は欠かせない。
よみがえった山林の恩恵について、多くを享受するのは私たちの次の世代や、その次の世代になるはずだ。ひるがえって今の暮らしを見つめれば、同じように50年前、100年前の先人たちが種をまき、築いてきた社会的遺産を、私たちが享受しているということも分かるのだ。
あすは「みどりの日」。身の回りの自然環境を見つめながら、100年先を生きる世代の暮らしのあり方を思い描いてみるのもいいのではないかと思う。
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