先日、聴覚障害を持つ女性と話す機会があった。要約筆記の助けは借りたが、こちらの口の動きを読んでくれて会話は何の支障もなく進んだ。思えばそれは女性側の一方的な努力によって成立していたわけである。
「目の不自由な人と耳の不自由な人、どちらがより大変なのかというのは健常者の考え方です。障害を抱えた人はそれぞれに大変であることをわかってもらえたら」。聴こえないことに気づかない周囲から誤解された体験を交え、語ってくれた。
ありふれた日常として見過ごされている状況の中にも、困難に直面している人はいる。その状態をきちんと周囲に伝え、理解してもらうことには幾つもの心理的なハードルがあって、社会に向けて一声を発するという行為は決して簡単ではない。
桐生・みどり地域で生活する障害児の母親たちの団体「ハートバッジの会」が、障害を持っていることを周囲にわかってもらえるバッジを作製して、希望する人に身につけてもらおうという活動を展開し始めた。「バッジがほしい」という声は県内各地から届いているという。
需要の高さは、自閉症や知的障害を持っている子どもと保護者が、周囲からはなかなか理解されにくい状況に置かれているケースの多さを物語っている。
公共の場で大きな声を出したり、道路に寝て動かなくなったりしても、感情のコントロールができないときには怒ることもなだめることもできず、落ち着くまでそっとしておくしかないことがある。この情景に出あったとき、一般の人々はそれをどのように見て何を思うのか。その答えは私たちそれぞれ、自問してみる必要があるだろう。
ハートをモチーフにした「思いやりマーク」には「障害を持っている子どもを見守ってもらうこと」への感謝を込めた。優先してもらおうとか周囲にがまんしてもらおうという意味ではないと強調するのは、そこへ踏み出すまでの過程で、いろいろ悩んできたからに違いない。
「依存する相手が増えるときに人はより自立していく」。これはある講演会で聴き、たいへん印象的に残った言葉である。
先の聴覚障害者は体験を踏み越えて、同病の人々の可能性を広げていく運動に取り組んだ。
ハートバッジの会は、周囲の人とバッジをつける側の両者に正しく意味を理解してもらいたいと声を上げ、自立した。
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