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運用のジレンマ

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 参院選の最中、みどり市の期日前投票所で、職員が群馬選挙区と比例代表の投票用紙を取り違えて有権者に交付するミスが起きた。同市や県の選挙管理委員会によれば、最大で市民59人の投票が無効になる可能性が高いのだという。同市ではさっそく謝罪文を用意し、59人に手渡したそうだが、誤った投票用紙を渡された有権者はもちろん、それを渡した職員にとっても、気持ちの整理はそう簡単につくものではあるまい。

 運営者側の初歩的なミスで、大切な選挙権を奪われた市民にしてみれば、再度投票をするなり、誤って記載した投票用紙を開票時に読み替えて処理するなり、自分の投じた一票をなんとか生かせる方策はないのかと思うのは当然だ。選挙を管理する側に、もっと知恵を絞ってほしいと思う気持ちも強いだろう。

 ルール違反なので無効はやむを得ない。専門的知見を持つ管理者からそう言われれば、分かりましたとうなずきたくなる。でも、本当にそうなのか。こうした過ちを救済するための努力を払う余地がないほど、ルールの運用にゆとりはないのかと、息苦しい気分ばかりが残る。

 民主主義とは、自分たちが暮らす社会のルールや目的について自分たちで話し合い、合意によって決定してゆくという政治のかたちである。自分たちの代表を決める選挙は、個人が政治に参加するための大切な機会であり、間接民主制の根幹をなしているはずである。

 だからこそ、選挙では不正がないよう、厳格なルール適用が求められるのだが、一方で今回のようなミスの場合、どうすればルールから個人の権利を救い出せるのかが問われるわけで、そこに知恵を働かせてこそ、人のためのルールになるのではないかと、そう思えるのだ。

 イギリスでは先日、EU離脱を問う国民投票で、大方の予想に反して離脱派が勝利を収めた。ところが、反離脱派は早々に再度の国民投票を呼び掛ける活動を始めた。国民投票を実施したばかりで、まだ何も始まらないうちに、もう再投票への呼び掛けなのかと、感覚的に首を傾げたくなる半面、疑問を感じれば声をあげ、行動を起こしてゆく縛られない意欲に、見習いたい気持ちも生まれてくる。

 「ルールだから」では納得しがたい、個人の権利を守るための手段について、もっと考えるべきではないかと思った。 
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