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きちんと知りたい

 身体の不調を訴える人がいれば「どうしたの」と気遣うのはあたりまえである。「痛い」といえば「どのあたりが」と聞き返し、子どもが「ここ」と指させば、お母さんは「どんなふうに痛いの」とたたみかける。

 私たちの暮らしの中でこれはよくある光景である。何が起きているのかわからないのは不安であり、中途半端に知るともっと不安になるのが人の心。要するに、きちんと知りたいのだ。

 知人が仕事で車を運転していたら、道路がいつもと違う込み方になって容易に進まなくなってしまった。急ぎの仕事を抱えて気ぜわしかったが、道を変えることもできずに流れに任せていると、ようやく事情が判明する。道路標示の塗り替えで車線規制が行われていたという。

 「突発的な事故でもないのに近くに行くまで何の渋滞かわからない。それはいかがなものだろうか」と、知人は言った。

 次は筆者の体験だが、目的地に向かう道路が工事で通行止めだった。「どうすればいい」と尋ねると、警備員が「向こうに道があるみたいです」と方向を示し、さらに聞くと「わかりません。すみません」という。

 正直な対応だったので笑って応じたものの、慣れない道は着くまでなんだか不安だった。

 もうひとつ、最近気になっているのが「ふれあいメール」の火災情報である。過日、立て続けに「○○町○丁目で火災」の連絡が入ったとき、「もう少し地域を絞ってもらえるといい」という声をたくさん聞いた。

 火災はどこか。自分の住まいや親戚、知人の家は大丈夫か。次々と心配になるものである。

 もちろん工事は告知しているはずだし、火災情報をもう少し詳しく知りたければその手段も用意されている。だが、影響が及ぶ範囲の人を不安にさせない対応ができているか否かは、大切にしたい視点である。

 いつどこで何が起きるかわからない時代に、もっとも避けたいのは不特定多数の人が不安な状態におかれる環境である。不安は連鎖するもので、次の事故の引き金にもなりかねない。

 工事もメールもいずれも大切な仕事だ。知らせていいことの線引きも考えねばならないことだから、簡単ではないのは理解できる。お互いうっかりもあることだから、これは決して苦情ではない。それぞれの管理者に対して「何とか改善できませんか」というお願いである。
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