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課題解決へ高校生のアイデア、桐商高と地元4社連携

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 桐生市立商業高校(閑野泉校長)と地元4社が連携して、各企業の課題解決に向けた提案・方策を考え発表する初のプロジェクトが実施された。「課題研究」を選択する3年生が、桐生信用金庫、上州菓匠青柳、笠盛、大西ライト工業所の経営陣と相対して、関東学園大学経営学部の指導も受けつつ進めてきたもの。21日に行われた発表会では、高校生らしいユニークな提案が示された。

 「地元企業連携課題解決学習プロジェクト」は、地元企業に興味関心を持ち、将来地元で活躍できる生徒を育成するとともに、生徒の思考力、判断力、表現力を高めようと実施。4社は桐生商工会議所からの紹介で、11月2日に3年生全員を前に各社の経営理念や事業内容を説明し、課題を示した。

 これを受けて85人が各社ごと4班に分かれて課題解決に向けて話し合い、提案をまとめて発表資料を作成。発表会では企業ごとにプレゼンテーションした中から代表が選ばれ、体育館での全体発表に臨んだ。

 青柳に対しては「若者目線の群馬名物」として、うどんをドーナツ状にした「うドーナツ」と「桑茶ミルフィーユ」を考案。かわいいパッケージデザインも。笠盛には花びら型刺しゅうワッペンを入れたバスボムやせっけんで、校内女子に好きな色、香り、花のアンケートもとって参考に。販売店や製造にさらに地元企業を使って活性化を目指す。

 大西ライトの場合は新卒向けPR資料の作成がテーマで、社長の笑顔を前面に会社を紹介、裏面はマンガでよさを強調した。桐信は地域密着型だが、若者層に知ってもらうにはB級グルメ大会やスポーツ交流会などイベントの開催を提案した。

 新スイーツのプランを受け、青柳の宮地由高社長は「おもしろいアイデアをもらった。社内で商品化を検討してみたい」と笑顔を見せていた。
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旧神梅小に企業誘致、魚の養殖と野菜工場に

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 みどり市は、廃校になった旧神梅小学校(同市大間々町上神梅)を活用し、トラフグやヒラメなどの魚の養殖場と、野菜や果物を栽培する植物工場を誘致する方針を固めた。こうした事業を手掛ける関東建設工業(太田市)と施設賃貸借契約に向けた交渉を進めているもの。旧校舎の1階を養殖場、2、3階を植物工場にする計画で、来年12月の開業をめざしている。市教委は来月12月10日に地元説明会を開き、住民に理解を求めたい考えだ。

 廃校跡の利活用策として、市教委が今年3月に同社側から事業提案を受け、誘致に向けて交渉を進めているもの。

 市教委によると、同社側と30年間の賃貸借契約を結び、跡地の北側(約6000平方メートル)を年約100万円で有償貸与、校舎跡は耐震補強や施設改修などの工事を同社側が全額負担することを条件に無償貸与する方針。小中学生らが工場見学できるようにするほか、災害時は避難所として利用することも貸し出し条件としている。

 養殖場は、閉鎖循環式陸上養殖という方式で、施設内で水を循環させるため外部への影響が出ないほか、自然災害や水温変動などの影響を受けずに魚を養殖できるという。

 植物工場は、野菜などの根を培養液に浸して育てる水耕栽培という方式で、年間を通してホウレンソウなどの葉物や、イチゴ、マンゴーなどの果物生産を計画している。

 また校舎跡の屋上と校庭跡地には、同社が最大出力約280キロワットの太陽光発電パネルを設置。養殖場などの電力をまかない、余剰電力は売電する。

 一方、体育館跡を含む跡地の南側半分は市が利用し、体育館跡は改修して神梅公民館を移転する方針。

 市教委は、この計画により廃校の維持管理費が年約200万円削減できるのに加え、市に年約100万円の賃貸収入があり、さらに廃校を利用した珍しい施設としてのPR効果や、交流人口の増加、地域での雇用や定住なども期待できるとしている。
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移動の手段

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 自転車で桐生川沿いを下る。県境の橋を渡り、栃木県に入ると間もなく渡良瀬川と合流する。河畔林にツグミやヒヨドリ、カラスといった鳥たちがにぎやかだ。上空にカワウの群れも見える▼道端に立て看板が現れる。特定外来生物を防除するために作業をしているという説明書きがある。防除の対象はオオキンケイギクとアレチウリ。花の季節が終わり、種子を結ぶ前に取り除くのだという。初夏、河川敷に咲いていた鮮やかな黄色い花々を思い出した▼環境適応能力が高い外来生物は、日本固有の生態系を乱すおそれがある。人間の身体や、農水産業への悪影響も考えられる。頭では理解できるのだが、散歩をしながらオオキンケイギクの花をめでたりしていた身としては、割り切れない気持ちも残る▼外来生物はどうやって海を越え、ここまでたどりついたのか。人間が運んだものもあれば、渡り鳥が運んだり、海流などに乗って漂着したりと、ルートは無数だ。荷物を下ろした貨物船のバランスを取るために使う海水にまじって旅をする生物もいるという話も聞く▼自分自身、自転車についた植物の種子をいつの間にか運んでいる可能性もある。生物それぞれに、生き残りの戦略はしたたかだ。(け)
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桐生市、企業誘致促進へ税減免

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 企業誘致の呼び水として、桐生市は30日開会の市議会定例会に、本社機能を市内に移転、拡充した企業の固定資産税を優遇する条例案を提案する。同様に群馬県が行う県税優遇制度に合わせ、土地や建物などに課す市税の固定資産税を大幅に減免するもの。すでに条例制定済みの県内5市の優遇制度を上回る軽減率を設定している。

 東京一極集中を是正して地方に雇用の場を確保するため、地方への本社機能移転を促す税優遇措置で、前年度に国が改正地域再生法に基づき創設した「地方拠点強化税制」に呼応した施策だ。

 東京23区から市内に本社機能を移転する「移転型」、それ以外の地域からの市内移転(市内企業の本社機能拡充含む)「拡充型」のどちらかの要件を満たした場合、固定資産税を段階的に3年間優遇する。

 軽減率は初年度は全額免税、2年目が4分の3(75・0%)減税、3年目が2分の1(50%)減税。制度化している県内5市(前橋、高崎、沼田、富岡、安中)で、桐生市のように移転型・拡充型共通の軽減率で、初年度を全額免税としている市はない。

 優遇措置を受けるには2018年3月までに、県知事に対して整備計画を申請し、認定後2年以内に整備する。本社機能とは事務所(調査・企画、情報処理など)や研究開発・研修施設で、工場や営業所は含まない。

 また国が指定する「地方活力向上地域」内での移転・拡充に限られる。桐生市では相生町二~五丁目、広沢町一・二丁目、本町一~六丁目に加え、黒保根町下田沢、境野町七丁目、新里町板橋・山上・奥沢・小林・武井・野・新川、西久方町一丁目、広沢町五・六丁目のそれぞれ一部。
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桐生で初雪、11月は14年ぶり

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 桐生地方は24日、真冬並みの強い寒気の影響で朝から雪が降り、正午現在の積雪量は桐生市元宿町で5・4センチ(市消防本部調べ)を観測した。前橋地方気象台は前橋・桐生地域などに大雪注意報を発表し、注意を呼びかけた。

 気象台によると、前橋市の初雪は平年より21日、前の冬より38日早く、11月の初雪は2002年以来14年ぶりで、積雪(正午現在4センチ)は1961年以降で最も早い。

 桐生市では午前7時ごろから雨が雪に変わり、地面や建物などの屋根、街路樹などがみるみるうちに白くなった。通勤・通学時間と重なり、子どもたちは防寒用の手袋や服装に長靴、傘を差して登校する姿が目立ち、雪をかぶって走る車が多かった。

 同市梅田町四丁目では雪の重みでしなった竹が道路を覆い、桐生が岡動物園では急激な寒さで運動場で遊ぶ動物は少なく、ひっそりとしていた。

 気象台は雪による交通障害や路面の凍結、ビニールハウスなど農業施設の損壊などに注意するとともに、25日朝にかけては冷え込み、路面の凍結に注意を呼びかけている。
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初雪の日に思う

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 紅葉の木々の雪化粧は晩秋の山歩きで見たことがある。平地の桐生で春の雪とサクラの花の取り合わせは珍しくない。しかし、色づいた葉に雪が積もる情景など、見たのはおそらく初めてだろう。11月の初雪は、桐生で14年ぶりだそうである。

 何日か前から「都心に積雪」の予報はあった。車のタイヤをスタッドレスに替えようかどうしようかと迷い、人びとの行動は分かれたが、予報どおりに結構な降りとなり、改めて近年の予報の確度の高さを実感した。

 そして、予報のあり方がこのように地域ごとに、しかも詳細に発表されるようになると、それに伴って、注意を喚起する呼びかけが多少大げさになっていくのは自然の流れだとも思う。

 先週の当欄で「天災は忘れたころに」という題で「防災の意識は常に更新していかねばならない」と書いた。22日朝、福島県沖を震源とするM7・4の地震が起きたとき、テレビは緊迫した声で津波への警戒と緊急の避難を繰り返し呼びかけた。

 その報じ方にいろんな意見があったと聞くが、発生時に外にいた記者は、地響きがあって後に揺れがくる様子で大震災の記憶を呼び覚まされたから、これでいいと感じたひとりである。

 「天災は」の警句の生みの親である科学者の寺田寅彦が「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」の根拠としてあげた室戸台風は、名前で呼ばれるようになった最初の台風だ。

 1934年9月。912ヘクトパスカルという記録的な低気圧のまま四国の室戸岬西に上陸し、大阪では最大風速60メートルというすさまじい暴風雨を記録して、死者行方不明者は3036人、負傷者1万4994人という甚大な災害をもたらした。

 こうした現実に直面して予報が変わった。それまでしばしば出されたために軽視されがちだった暴風雨警報を、災害の起こることがはっきり予測される場合に限って出すことにし、それ以外を注意報として出すことに改められたのがこのときだ。

 現代はというと、どちらかといえば、常に最悪のケースを想定した予報へと変わりつつあるようだが、それはさまざまな災害経験を礎にして、進化してきた結果なのだと受け止めたい。

 ことばにも過剰流動性という一面がある。使って慣れて薄まらぬよう戒めるのは、私たち一人ひとりの取り組みである。
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癒やしの光

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 きのう、雪が降った。本当に雪が降るとは、と思った人も少なくはないと思う▼18日から23日に かけて、私の取材エリアである足利市ではイベントがてんこ盛りだった。栗田美術館での三大陶器まつり、あしかがフラワーパークでのグルメグランプリ 、市内各所での文化財一斉公開、足利銘仙を着てまち歩きを楽しむ楽ジュアリーツアー、史跡足利学校 を中心とした足利学校さままつり、ほかにもたくさんのイベントがあって、大忙し。1カ月分くらい歩いた気がする▼23日、最後に待っていたのは足利工業大学生と足利短期大学生6人による「竹あかり 」。発光ダイオード(LED)をさまざまな大きさや形状に切った竹に仕込んで、演出する光のイベント。足利学校近くのポケットパークで行われた▼1カ月ほど前、実施が本決まりになったということでLEDの買い出しや竹の加工など本番前の作業は大変だったという。青色LEDを並べて渡良瀬川、さらに赤や黄色のLEDで紅葉も表現した。LED調 整担当の学生は3日徹夜したそうで、美しくあかりが灯ると「よかったあ」と涙声。若者が感動している姿をみるのはいいなあ、とこっちも感動。6日間の疲れを忘れさせてくれる光だった。(ほ)
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「ひもかわいなり」、ウマいもん合戦で本格デビュー

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 桐生広域物産振興協会(森島純男会長)が桐生駅構内で運営する「桐生観光物産館わたらせ」で週末限定販売されている「ひもかわいなり」が人気だ。9月から店頭で売り始めたところ、毎回完売が続いている。3カ月間の実績に自信をつけた同協会は、桐生市運動公園で26日から始まる「北関東三県ウマいもん合戦」で本格デビューさせ、新しい桐生名物として定着させたい考えだ。

 「ひもかわいなり」はその名の通り、米の代わりに、ひもかわを詰め込んだいなりずし。茨城県笠間市でそばを詰めた「そばいなり」が人気になっているのを参考にした。桐生らしい食材として、うどんやシイタケも候補に挙がったが「まずはひもかわで」と、商品化を決めた。

 本当の需要を探るため、発売はあえて一切告知せず、店頭のみにとどめた。桐生麺類商組合の大川順司組合長(藤屋第一支店)に生産を依頼し、土・日曜に各10食限定で売り出したところ、毎回売り切れの人気となった。

 同協会は「ウマいもん合戦」に出店しており、満を持して大々的に売り込みをかける。

 森島会長は「物産館だけで独占するのではなく、ゆくゆくは桐生中のうどん屋さんにつくって売ってもらいたい。今回を機に広めたい」と意気込む。

 「北関東三県ウマいもん合戦」は26日と27日に開催。時間は両日とも午前10時から午後3時まで。
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地道に故郷の“裏方を”、齋藤清さん、日本善行会から全国表彰

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 地域の環境美化などに取り組む桐生市広沢町五丁目の齋藤清さん(80)が、日本善行会から全国表彰を受ける。妻のちよ子さん(73)と一緒に十数年、公園のトイレ清掃や草刈り、幼稚園行事の手伝いと、自分たちにできることをせっせと続けている。「楽しいから、好きだから、続けています」。屈託なく話す夫妻にとって、思いがけない栄誉だ。

 織物職人だった齋藤さんは定年後、“裏方役”として地道な活動を始めた。趣味の野球などで利用する松原橋公園のグラウンド。そこの草刈りがきっかけだったという。十数年前のことだ。

 広沢幼稚園では孫の入園を機に、サツマイモ掘りやもちつき大会といった行事の手伝いや、園内の草刈りなどを開始。孫が卒園した今も、園とのかかわりを続けている。

 先日も松原橋公園で開かれた幼稚園の秋の遠足で、園児一人ひとりに手づくりの飛行機をプレゼント。境野幼稚園の園児も加わって、合同で飛行機飛ばしを楽しんだ。「境野は私の出身地。どちらの園にも楽しんでもらえたら」と、夫妻は話す。

 公民館周辺の清掃活動も、夫妻が続ける活動の一つ。「そろそろだなと思ったら、草を刈ったり落ち葉を集めたり」。頃合いを見ながら、月に1度のペースで行われる清掃活動に、職員たちも「本当に助かっています」と頭を下げる。

 草が伸びたら草を刈る、トイレが汚れたら清掃する。夫妻にとっては当たり前の作業が、地域を明るく照らしている。

 表彰は26日。推薦者で第13区長の中村忠さんは「なかなかできないことです」と、取り組みをねぎらっている。
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電脳の世界で

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 東京からの帰路。熊谷駅で新幹線が停車した。次の停車駅の高崎駅で終電の両毛線に乗り換え、桐生駅へ。楽しかった旅ももうすぐ終わりを告げる▼しかし、定刻を過ぎても列車が動きださない。一つ先の本庄早稲田駅で上りの新幹線が異音を検知し、「確認作業をしています」というアナウンスが流れた。結局、新幹線は1時間以上動かないまま。1年に1度あるかないかという新幹線での人身事故だった▼アナウンスを聞いた時点ですぐに動きだし、在来線に乗り換えれば終電に間に合ったかもしれない。だが、電池残量がわずかとなったスマートフォンでは検索もままならず、どちらが有利か分からないまま、ちゅうちょしてしまった。いまからでも前橋駅にはたどり着けそうだったが、結局、熊谷駅まで家人に車で迎えに来てもらうことにした▼東京都心で観測史上初となる積雪を記録した24日、東京電力が節電への協力を呼びかけた。暖房の需要が高まり、午前11時台に電力使用率が95%に達したという。計画停電の夜を思い出した▼もしいま、電気が使えなくなったらどうなるだろう。5年前の3月、考えたはずの問い。答えの出ないまま、忘れて日々を過ごしていないだろうか。(野)
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近藤さん全国2位、フラワーデザイン選抜選手権

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 岩手県盛岡市で開かれたフラワーデザインの競技会、第37回全日本花卉装飾技術選抜選手権大会(日本生花商協会主催)で、桐生市のフラワーアーティスト近藤芽衣さん(34)が準優勝にあたる農林水産大臣賞に輝いた。地方予選を勝ち抜いた21人による公開競技で、初出場ながら全国2位の高評価を受けた近藤さん。「全国の強豪の中で思いがけない好成績を収められてうれしい」と喜ぶ。

 近藤さんは桐生市巴町の生花店・花清の近藤創社長(58)の長女で、同市本町五丁目の旧花清店舗で花の贈り物専門店「ザ・コーナー」を営んでいる。

 昨年11月の群馬県予選をへて、北関東甲信越ブロック代表として全国大会に出場。岩手県民情報交流センターで10日に開かれた大会は、制限時間内に花束とテーブルディスプレーを作り、公正を期すためどの選手の作品か分からない状態で審査された。

 近藤さんは、作品テーマ「ありがとう」からイメージを膨らませ、課題資材の「すのこ」と黒、赤2色の紙を大胆に使用。すのこを黒い紙で包み隠して箱状にし、そこに花材を散りばめて巨大な“贈り物”風の作品に仕上げ、異彩を放った。

 「初出場なので、中間ぐらいの順位ならいいと思っていたが、まさかの2位で驚いた」と近藤さん。「他の選手はみんなスピードが速くて上手だったが、自分は手の遅さをアイデアでカバーした形で、実力以上に評価された」と謙虚に語る。

 今年の群馬県予選でも2位に入り、来年の同大会にも出場が濃厚。師匠でもある父の創さんはかつて同大会で内閣総理大臣賞を受賞しており、娘も「来年はさらに上をめざしたい」と、親子2代での“日本一”をめざす。
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中学生派遣も検討、米コロンバス市、来年3月に市長訪問

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 桐生市は30日開会の市議会定例会に提出する今年度補正予算案に、2018年で姉妹都市締結40周年を迎える米国コロンバス市の訪問事業を盛り込んだ。来年3月に亀山豊文市長が同市を訪問し、桐生市から同市への中学生派遣事業の新規実施などを検討する。

 コ市との国際姉妹都市提携は、1977年5月の桐生市議会で議決され、78年4月に調印式を実施。桐生市の高校生派遣や、コロンバス州立大学生の来桐、きもの児童画の送付などさまざまな交流事業を行っている。

 今回の補正予算案には、国際姉妹都市等訪問事業委託料として207万円、事業協力謝礼と旅費で43万円を計上。亀山市長が来年3月下旬の市議会定例会終了後に同市を訪問し、現地関係者と意見交換する。

 今後の両市の交流をさらに深め、国際感覚を養ってもらおうと、桐生市の中学生海外派遣事業の新規実施についても模索。併せて海外販路開拓支援の一環として、桐生市の地元企業の現地法人なども視察する。

 また、今回の補正予算案には国の過疎地域向け補助金を活用し、黒保根町自治会の簡易浄水器や発電機、投光器、毛布などの防災備品や小型除雪機や草刈り機などの購入を全額補助(1400万円)する。

 このほか、広沢中エレベーター改修工事費2935万円を計上。市中心街の空き店舗を改修する出店者などに改修費の半額(最大上限120万円)を補助する事業についても、当初予算の全額が執行済みとなったため、新たに632万円を増額補正する。
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ごはんの幸せ

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 黒保根の新米をいただいて、ガス釜で炊いては「うまい」を連発している。きりっとつややかに光輝く一粒の集合に鼻腔と目が福をもらう。お茶わんのあたたかさを手に、箸で口に運ぶ。甘みがじわっと広がって、六感はあの光景に飛んでいく▼五穀豊穣や無病息災を願って舞う、涌丸獅子舞である。今秋は桐生市の歴史まちづくり講演会も便乗して地区外からの見学者やアマチュアカメラマンも多かった。なのに子どもたちが全員を回って福引の札をひかせてくれる。終演後に大抽選会となった▼豪華に張り出された多数の景品。全員に当たるだけ寄進されており、その福引で新米5キロを当てたのだ。ずしりと重い米袋を受け取って戻ると「オレの米だよ」と笑顔を向けられた。つい先日まで田んぼにあったそうで、情景が浮かび心ふくらむ▼例年は田植え草刈り稲刈りをできるときに手伝って魚沼コシヒカリをいただく。そのもっちり感との食べ比べも興趣。そう、今秋は手作りみそやサトイモもいただいた幸せ者なのだ▼料理研究家の土井善晴さんは近著「一汁一菜でよいという提案」で、ごはんと具だくさんのみそ汁と漬物で日常は十分豊かだとする。かみしめつつ、うなずいている。(流)
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英語暗誦全国1位、中2の部で星野騎士さん

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 星野騎士(ないと)さん(四ツ葉学園2年)=みどり市大間々町高津戸=が、英会話学校ECCの第32回全日本中学生英語暗誦(あんしょう)大会で中学2年の部1位に輝いた。大会は大阪市で20日に開催、星野さんは賞状と大きなトロフィー、盾を持ち帰り、副賞として来夏に海外研修旅行がプレゼントされる。「将来は世界で活躍したい。賞を励みに、これからもがんばりたい」と喜んでいる。

 3歳からECC川内町二丁目教室に通い、澤田実幸先生による少人数指導を受けてきた星野さん。大間々北小から「英語に力を入れている」四ツ葉学園に進学。4歳上の兄の影響もあって、空手も5歳から身学舘桐生道場(金子正代表)に通う“文武両道”だ。

 英語の暗誦大会は県で優勝を果たし、DVDによる2次予選で1054人の中から選ばれて全国大会へ。中1~3年の50人が発音や流ちょうさ、表現力などを競った。星野さんは三つの課題文から選択した「Sai Weng’s Horse(塞翁が馬)」を、身振りを入れて暗誦した。

 「地の文と塞翁のせりふを、声色を変えて表現しました。マイクテストでうまい子がいたのでハードルが高いと思った。緊張して練習のときよりうまくいかなかったけれど、金賞の3人に入り、そのなかで最高賞のグランドプライズに選ばれてうれしかった」と笑顔を見せる。

 副賞は来夏に10日間、初めての海外旅行だ。「英語でいろんな人とコミュニケーションするのが楽しみ。いろんなことを学んで、これからも自分の可能性を広げていきたい」という。「日本の誇れる文化」という空手もしっかり修めて心身を鍛え礼儀を学んでいる星野さん。全国一にもおごることなく、世界に夢を広げている。
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西田博太郎さん自筆ノート見つかる 群大工学部同窓記念会館

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 群馬大学理工学部の前身、桐生高等染織学校の第2代校長として大学の礎を築いた西田博太郎さん(1877~1953年)のつづった自筆ノートが、工学部同窓記念会館2階の資料展示室から見つかった。東京帝国大学の学生時代に受けた講義の記録で、丹念につづられた英文には、日本の応用化学の祖である高松豊吉教授が伝える最先端の知識を、一字たりとも書き漏らすまいとする意志がうかがえる。「講義内容を書き留めたノートは当時の学生にとって大切な財産。西田先生が残してくれた貴重な資料で、今の学生にこそ見てほしい」と、再発掘した群馬大学理工学部准教授で群馬大学工業会会報編集委員の伊藤和男さん(65)は話す。

 見つかったのは4冊の自筆ノートで、旧校長室の展示棚に保管されていた。昨年の工学部創立100周年を機に、同窓記念会館の資料を整理した際、伊藤さんらが改めてその存在に気づいた。表には「西田ノート」の張り紙があり、1冊の見開きには「製薬学 高松博士口授」と記されていた。

 ペンを使ってきれいに清書された手書きの講義録で、実験機器類のスケッチなどもしっかりと書き添えられている。製本も施され、一見すると出版物のような体裁、西田博太郎の名前も記されている。「最初は西田先生が在職時に講義で使用していたノートなのかと思った」と、伊藤さんは話す。ただ、ノートの来歴や記された年代を判別するための手がかりは、見つからなかった。

 工業会の展示品台帳を開くと、これらのノートは1973年に当時の工学部図書館から移管されたという記録がある。

 さらに伊藤さんが調べると、27年の「高工時報」に掲載された西田校長の回想録に、東京帝国大学の学生時代に講義を受けた応用化学科主任の高松博士の名前が登場する。

 西田さんが東京帝大工科大学応用化学科に入学したのは1898年、卒業は1901年。そのころ、高松教授も同じ大学に在籍している。「4冊のうち3冊はおそらく高松教授の講義の記録。だとすれば120年近い歳月がたっている」と伊藤さん。

 残りの1冊にはミュールハウゼンの地名が見える。西田さんは1903年から05年にかけ、英国とドイツに留学しており、ノートはドイツのミュールハウゼン化学学校で記したもの。タール染料の実験とその結果がドイツ語でしたためられており、染められた繊維も一緒に張り付けてある。

 群馬大学名誉教授で工業会会報編集委員の太田悦郎さんは「当時の学生にとって最先端の知識をまとめた講義録はそのまま教科書になったはず。西田先生もこのノートを種本に、桐生高等工業学校の学生たちに講義をしたのでは」と想像を巡らす。

 同窓記念会館は現在、耐震補強工事の最中。伊藤さんらは工事終了後の展示・保存方法について考えている。
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書き留めるという作業

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 群馬大学理工学部の礎を築いた第2代校長の西田博太郎さんが東京帝国大学の学生時代に記した自筆のノートが、同窓記念会館の資料から見つかった。日本が近代化を目指して科学分野の発展に力を入れていた明治の後半、ちょうど1900年前後に綴られた講義の記録である。

 流ちょうな筆記体の英文で実験の方法やその留意点などが丹念に記されており、的確なイラストなども添えられている。

 製本された立派な表紙からは、応用化学の草分けである高松豊吉教授が伝える最新の化学的知識のすべてを聞き漏らすまい、書き漏らすまいとする意志までがにじんでいるようで、ノートの風貌が伝える威風にじっと見入ってしまった。

 戦前、国の最高学府で学ぶ学生にとって、教授から授けられる知識や技術は何ものにも代えがたい貴重な財産だったのだと、改めて思い直した。

 桐生高等工業学校の学生時代、西田さんの特別講義を受講した記憶があるという北山清さんは、「工学部の百年」の中で、講義に臨む姿勢について触れている。特徴のあるそれぞれの教員が伝える講義の口述や板書を、まずはノートに書き写す。そして、その日のうちに清書をして、自らの理解を深める。

 繰り返し書くことで新しい知識を身に付けていくというスタイルは、学ぶ者としての習慣のはずだが、記録やコピーといった道具がなかった時代に自分のノートと頭とに新たな知識を刻みつけるという行為は、いま以上に重要だったはずだ。

 とりわけ科学の分野で、実験データや留意点などをいかに正しく書き残すかという意識は大切。STAP細胞で注目を浴びた小保方晴子さんの事件で、実験ノートの取り方について、そのずさんさが大きな話題となった。事件を受け、群馬大学をはじめとする各大学では、読みやすく分かりやすい、丁寧な実験ノートのつくり方を指導しようという動きも出ている。

 口述の講義には、単なる知識だけでなく、生身の教員が体験から獲得した知恵や情報なども含まれるはず。120年前の講義を記したノートを眺めながら、正しく美しく記すことの大切さを思う。管理する工業会では、現在耐震工事中の同窓記念会館の完成を待って資料を整理する予定だと聞く。現役の学生たちにこそ、ぜひ見つめてほしい資料だとも思うのだ。
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スキマ

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 大きな本屋さんの棚を見て回る。そのジャンルの基礎、教科書となるような本がある。そうした本の間をつなぐ専門的な本がほしくても、そうそう見つからない。興味を持つ人はそう多くないのだろうなとあきらめる。あきらめきれなければ、東京・神田の書店街まで足を延ばす▼20年前はそんな感じだった。でも今、本屋さんを見ると、むしろ教科書的な本よりも、専門的、マニアックな本の方が多い感じであきれるほどに細分化されている。もしそこで見つからなくても、ネットの通販で探せばほぼ見つかる▼便利になったのは間違いない。だけど、探す楽しみが減ってつまらなくもなった。そして何だか、息苦しくもなった▼教科書と教科書の間にある専門書。間というのは、隙間である。「スキマ産業」という言葉が生まれて久しいが、その久しい間に産業として成り立ち、いろいろなスキマが埋められてきたのだ▼昔は各地に空き地があり、そこで子どもたちはいろいろな遊びを見つけ出し、作り出した。空き地が建物で埋められていき、遊び場が減っていった▼隙間というのは余裕であり、余裕というのは、遊びである。そして人間は、遊ぶことのできる生き物。遊び場が減るのは、息苦しい。(篤)
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佐藤功一さん、時計修理の道具と腕生かし木目込み人形教室

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 時計と眼鏡の店を経営していた佐藤功一さん(73)が桐生市仲町三丁目の居宅兼店舗の空間を活用し、木目込み人形の教室を始めた。時計修理の細かい道具が製作に生きるのではと、50歳のときに始めた手習いを生かそうと考えた。

 佐藤さんは跡継ぎの息子に仕事を任せてからも「まだお客さんがいるから」と、移転前の店舗スペースを利用し古い時計の修理などをこなしている。木目込み人形の趣味は「細かい道具が時計屋だからある。生かせたら面白い」とちょうど20年前に通信教育ではじめ、1996年(平成8年)には講師の民間資格も得た。

 「手を動かしておけば老化を防げるから」と笑顔で開講の理由を明かす。受講希望者の都合に合わせながら、修理の合間に教室を開く心積もりだ。

 「やってみたい人がいたら材料費程度で教えたい。今なら来年のえとの酉(とり)がおすすめかな」。問い合わせは佐藤さん(電090・4131・8681)まで。
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 世界遺産に登録された社寺や豊かな温泉に恵まれた国内有数の観光地・栃木県日光市のホテル群が、わたらせ渓谷鐵道との初めての連携事業をスタートさせる。わ鐵各駅イルミネーション点灯後の12月10日以降の土曜日に、同市足尾町内の駅と市内ホテル群を直結する事前予約制の連携バスを出す。日光側からの提案にわ鐵が即応した初のケースで、日光とわ鐵沿線の連携強化に向けた“第一歩”として関係者の期待が高まっている。

 わ鐵各駅イルミ事業は、沿線の住民や企業、団体が実行委員会をつくり、2004年度から毎年冬期間に続けている恒例行事。今年は全17駅で12月4日から来年2月末まで連日、夕方5時から最終列車通過までともす。

 連携事業を主催するのは、日光市内のホテル・旅館でつくる「日光旬旅倶楽部」(根本芳彦会長)。開催日はイルミ点灯期間中の土曜日(年末と祝日除く)で、「わ鐵イルミ体験ツアー」(募集型企画旅行)と題し、参加費1人500円の事前予約制バスを出す。

 バスが立ち寄るのは、同倶楽部に加盟する日光市内12カ所のホテル・旅館。開催日の夕方に各施設を回ってツアー参加者を乗せ、通洞駅、足尾駅を経て終点の間藤駅に到着。午後6時10分の列車到着を待って、桐生方面から乗車してきた同ツアー参加者を乗せ、再び日光市内の各施設を回る仕組みだ。

 同倶楽部のワーキングチームの一員として、わ鐵との連携を模索してきた中心人物が、ホテルナチュラルガーデン日光の平松千景支配人。数年前から関係者を説得して同倶楽部での事業化を実現し、わ鐵の樺沢豊社長の協力を得て両者の初コラボにこぎつけた。

 樺沢社長は「日光との連携はわ鐵にとって悲願。日光側から提案いただけて本当にありがたい」と語る。平松さんは「わ鐵には観光客に感動してもらえる多くの魅力がある。(14年5月の)天皇、皇后両陛下のご乗車以来、わ鐵の注目度が高まっている。今回の事業を突破口に、さらに連携を強化したい」と意気込んでいる。

 同バスが立ち寄る日光市内の12カ所のホテル・旅館は次の通り。

 ステーションホテルクラシック、星の宿、日光金谷ホテル、日光東観荘、ホテル清晃苑、鶴亀大吉、ホテルいろは、ホテル春茂登、日光千姫物語、ホテルとく川、懐かし家風和里、ナチュラルガーデン日光

 問い合わせ、申し込みは日光おでかけサロン(電0288・54・2700)か、バス立ち寄り施設へ。
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アップサイクル

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 繊維の分野で、リサイクルや単なる再利用を超えて付加価値の高いものづくりへと昇華するアップサイクルが大きな潮流になっていると、桐生産地で10月まで実地研修に臨んだロンドン芸術大学の大学院修了生を通じて実感した▼桐生市役所での紹介で、彼らの多くがこの分野を専門とし、作品を発表していると説明された。環境への意識の高まりを背景に、廃棄される運命にあったものを再生して新たな形で生かすことは最先端の取り組みで、付加価値として認められているわけだ▼地元染色整理業の土田産業が、工程で発生する裁断端材を手芸用糸に再生して商品化し、ブランド化を図った。同社にとって再活用は長年の課題だったが、欧州で同じように出る端材が糸としてもてはやされ、人気が日本にも及んでいるのに着目した▼担当者は、商品によって定価の数倍で取引されるのをみて「燃料費をかけて輸入し高額で購入するのはエコなのか」と思ったそうだ。その疑問はもっともだし、選択肢として国産品を提案できたのも、繊維が産業として息づく桐生ならでは▼糸へん産業は宿命的にロスの多い業界とされる。発想の転換で新しい商品が生まれる余地がまだまだあるかもしれない。(
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