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後世の平和を願う年

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 歴史的な出来事を年表でひもときながら、ものごとを時系列で見ていくのは大切なことだ。

 1941年12月8日は、日本海軍が真珠湾を奇襲して太平洋戦争に突入した日であった。

 このとき日本は中国との戦争の最中で、欧州では第2次大戦の戦火が拡大していた。

 はじめは中立を宣言していた米国だったが、40年に日米通商航海条約を破棄し、日独伊三国との対決姿勢に転じていく。

 そして41年。日本は大東亜共栄圏構想を打ち出し東南アジアの紛争介入を表明。日ソ中立条約調印で北の守りを固めた。

 その一方、開戦か回避かの日米交渉は難航を極め、8月、米国は対日石油禁輸を断行。

 同月、連合国側は大西洋憲章で結束を確認し、戦争の進め方と戦後の国際秩序の理念を話し合う。ここに日本国憲法第9条の原点があるといわれている。

 10月18日、日米開戦を主張する東条内閣が組閣される。11月26日、日米交渉は決裂した。

 択捉島に結集していた日本海軍機動部隊が秘密裏に出航したのも同じ26日。艦隊はハワイを目指し東に進む。以上が年表から拾った関連事項である。

 この真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入した日、国民は心の内でどう受け止めたのか。戦後世代としては最も気になる部分だ。

 戦争はすでに国民生活に影を落とし始め、だれしも身近な人が戦地にかりだされていた。

 この日を境に日常の天気予報や気象情報が消えた。関係悪化は理解しながらも、ジャズや映画などの米国文化の人気は高かった。開戦の報に心穏やかではいられなかったはずである。

 真珠湾奇襲の戦死者は2000人以上。米史上空前の被害だった。そして45年8月、広島市民25万人の命が原爆で一瞬に消えた。長崎で7万人以上。

 ことし5月、オバマ米大統領が広島市を公式訪問して慰霊碑に献花し、核なき世界を追求すると述べた。また12月には安倍首相がハワイを訪問し、真珠湾で献花することになった。

 戦争終結から71年。両国の歴史的な歩み寄りの意味を心から歓迎したいと思う。戦争の悲しみを抱えた庶民がずっと、あたりまえに望んできたことだ。

 何ごとも維持する努力、変える努力を続けなければ後退していくのが世の習いである。歴史の中で今年のことが、後世の平和の節目となる年であったと記述されることを願うのである。
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