技術の進歩が新しい道具やサービスを生み出す。使い勝手やデザイン、価格に見合う満足感などが人びとに認められればやがてそれらは広まる。それと入れ替わるように役割を終えてゆく道具やサービスもある。
では時代遅れになったものが完全に消滅してしまうのかといえば、おそらくそうではない。長年の使用に堪えてきた信頼と実績まで消すことはできず、そこに価値を見いだす使い手もいるわけで、新技術への乗り換えは本来そうやすやすといかない。
先日、水都学の研究成果を発表する講演会で、研究者が桐生の発展と用水との結び付きについての考察を紹介した。江戸後期から明治初期にかけ、桐生新町付近を流れる大堰用水沿いに、お召生産に欠かせない揚げ撚り業者の集積が見られるが、これは用水の水力がお召生産を支えていた証しではないかと、そんな報告内容であった。
明治20年代になると佐羽喜六が渡米し、最新の水力発電機を購入。これを渡良瀬川から引いた流れに設置し、タービンを回して発電を始めた。当時、国内最先端の織物工場だった日本織物の電気を生み出したわけだ。
こうした歴史を振り返りながら、改めて見つめてみたいと思うのが、これからの用水の今後の役割である。
東日本大震災の大津波で福島第1原発が事故を起こし、その後処理に莫大な費用と長い時間、多大な労力が必要になることが、ようやく明らかになりつつある昨今だ。いったん事故が起きたとき、コストや環境負荷は今の私たちにとどまらず、次の世代にまで影響を及ぼしうる。その影響がいつまで続くのか分からないのが原子力というものの本質なのだともいえる。
ならば地域に偏在する自然エネルギーに再び注目し、そこに回帰しようとする動きには道理がある。そのとき、地域のエネルギー史を見つめ返す作業にも必然性がある。動力としての水利用は、私たちがはるか昔から通いなれてきた道である。短所はすでに了解済みで、だからこそ、安心して長所を磨く作業にまい進できるのではないか。
いま、赤岩用水の流れをみれば、水量は少ない。震災後、この水を増やして小水力発電に利用しようと声を上げ、実現を目指した有志たちもいる。着目点はおそらく間違いではなく、これからますます重要になるはず。その流れに期待したい。
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