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ママさんの旅立ち

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 できたてのカリンシロップはきれいなオレンジ色である。時がたつにつれ、色は濃い茶に変わっていくが、どんな見た目になったとしても、喉が乾燥したときに熱いお湯に溶かして飲むとすぐ、風邪から守られている気分になれる。その味はいつも、力強くてやさしいのだ。

 行きつけの喫茶店のママさんが冬になるとシロップを手づくりし、小瓶に詰めてくれるようになったのは、筆者が50代の後半になってからである。ごちそうになって喜んだら、その年から分けてくれるようになった。

 店は1970年に夫と二人で開業した。筆者はそれから間もなく高校の仲間と出入りするようになったから、気づいてみれば40年来のつきあいである。

 世間知らずの生意気盛りは恥ずかしきことの数々で、きっと迷惑もかけたはずだが、手元にあるママさんの短歌集「私抄」を読んだら「来客が無いまま過ぎし日の不安日を追い解けて若き等つどう」のうたがあった。

 「いくらか役立つこともあったんですか」と、改めて聞いてみたいが、いまはそれもかなわない。年が明け、ママさんが西方へ旅立ってしまったからだ。

 「音楽や芝居や展示にスペースを提供しつつの借り店商売」「地元にて芸術活動する人の交流の場となることも夢見て」

 短歌集にはそんなうたも並ぶ。ここに育ち、広がっていった草の根文化活動はどれほど多かったことかと、顧みて思う。

 「戦争の悲惨さ思いつ空見ればたゆとう雲は輝きてあり」「嫁ぎ来し頃は機屋よ毎晩の夜なべ時には二時三時まで」

 子ども時代に体験した戦争のことや苦労話はあまり聞いたことはなかったが、文化への深い関心や、熱心な活動を温かく見守るまなざしの根底には平和への願いがあり、「美と愛と真の他には魂を救う手だては無きと思ゆる」のうたのように、善意を信じて疑わない人だった。

 ママさん。顔なじみはみんなそう呼んだ。世の中は人対人の関係で支え、支えられていることを、いつも誰かのために一生懸命だったママさんの姿に教えられてきた私たち仲間である。

 今年はカリンの実が、まだたくさん残っていると聞いた。

 「見渡せば山山山に囲まれてこの地で野草の如く息衝く」

 旅路を見送った斎場からの帰り道、山影に入った広沢町と残照の境野町の街並みが、渡良瀬川の流れを挟んで美しかった。
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