桐生川を泳ぐイノシシ親子の写真が以前、本紙に掲載された。
人の目を避けるように、川沿いを移動しながら生息域を広げているイノシシの行動パターンは、自分でも目撃したことがあるだけに、感覚として分かっていた。ただ、あちら側からこちら側へ、水の流れをどうやって渡るのか、その方法は気になるところだった。橋を渡って対岸に移動しているとの話を聞いたこともあり、それもあるかもしれないと思っていたのだ。
ところが1枚の写真から、イノシシは泳いで川を渡ることができるのだと確認できた。橋を渡らずとも、彼らは川の両岸を自由に往来できるわけだ。
柳田国男の随筆「サン・セバスチャン」の中に、次のようなくだりがある。宮城県松島にある焼島という島で、養殖キツネがどこかに立ち去ってしまったと、柳田が新聞で報じると、土井晩翠から「松島の狐は水が泳げるとみえますね」と、手紙が送られてきたのだという。
これに対し「狐を泳がざる動物ときめて置くことは、いまだに安全ならざる知識である」と、柳田は警告を発している。
泳いだ姿をこれまで見たことがないと、もしも言うのであれば、あなたはこれまでに実物のキツネを何匹目撃したことがあるのか。岡山県の「田舎育ち」である私でさえ、過去6匹見たうちの4匹は動物園で、残りは2匹同時に目撃したので、野生のキツネは実質1回しか見たことがないと、柳田は続ける。
これほど少ない目撃体験を基にして「キツネは泳がない動物」と決めつけることなどできないはずで、世間の常識や通説とは、概ねこのようなものではないだろうかと問うているのだ。
随筆が発表されたのは1927(昭和2)年。片岡直温蔵相が衆議院予算委員会で「東京渡辺銀行が破たん」と失言し、中小の金融機関で取り付け騒ぎが起こり、金融恐慌へと発展した、そんな時代の一文である。
先の読めない不安な時代に、予断は人を安心させる。生きる上での知恵でもある。ただ、新事実が確認されたとき、誤りを受け入れ、予断を改めることができるかどうか。海の向こうでは新大統領が就任し、多くの人が不安と期待の中でその政治手腕を見極めようとしている。
予断に甘えることなく、いつも柔軟に構え、新しい事態に備え、そして対応する。昔も今も、処世術に変わりないはずだ。
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