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父・貞彦さんは桐商OB 第72代横綱・稀勢の里

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 大相撲初場所で初優勝を果たした稀勢の里(30)=本名・萩原寛、田子の浦部屋=が25日、第72代横綱に昇進した。じつは父親の萩原貞彦さん(71)=茨城県牛久市=は10代の一時期を桐生で過ごした。中学・高校時代の級友で、今も貞彦さんと交流のある田村明弘さん(71)=桐生市新里町=や、高校時代の恩師・中島三代支さん(82)=同広沢町=らは「とにかくうれしい。優しくて力持ち、シャイな性格は父親そっくり」と、念願の横綱昇進をわがことのように喜ぶ。

 田村さんによると、貞彦さんとの出会いは桐生市立西中学校時代。「1年のときに転校してきたのを覚えています」。お互い永楽町在住。家が近い上、高校も同じ桐生市立商業高校に入学。友達づきあいは自然と深まった。

 「(貞彦さんは)体が大きく腕力もあった。明るくてでしゃばらず、運動能力も高かった」と、田村さんは振り返る。高校時代に3年間、担任を務めた中島さんも「寡黙で力があり、骨太な生徒だった」と印象を語る。

 2人は「しぐさといい、余分なことを言わない性格といい、いま思い返しても稀勢の里関によく似ていました」と指摘する。

 1964(昭和39)年に桐商を卒業。就職で桐生を離れ、音信が遠のいた時期もあったが、同窓会開催の連絡を機に再び連絡を取り合うようになった。「今度、息子が相撲部屋に入ることになったと、そんなやりとりをしたのを覚えています」。2002(平成14)年のころだ。

 田村さんも同窓生と一緒に関取の応援を開始。04年の新入幕の際には初めて稀勢の里関に対面した。「そっけない表情の中に、時折柔和な笑顔をのぞかせて。心根は明るい子なんだなと思いました」

 貞彦さんも同窓生との会合によく顔を見せた。「桐生は自分のふるさとという意識はあります。同窓生と話をしていると落ち着きますから」と、貞彦さんは話す。

 11年に大関昇進。綱への期待を背負いながら、あと一歩のところで勝ち切れない稀勢の里に、同窓生らはひとしおの声援を送った。「大関昇進の盛大なパーティーに出席して、期待の大きさを実感した。関取は大変な重圧と闘っているんだと思いました」と、田村さんは話す。父親からも苦しい思いを耳にしたという。それだけに、新横綱の誕生には「みんなでおめでとうと言いたい」とも。

 「ここがスタート。横綱としてさらなる成長が必要です」と話す貞彦さんだが、同窓生たちは「どんな横綱になるのか、期待が膨らむ。いっそうの応援を続けたい」と話している。
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