喜劇王チャプリンは来日中の1932年、犬養毅首相の息子の健氏の案内で相撲見物に行った。その最中に惨事の知らせを受け、健氏から「たったいま父が暗殺されました」と聞かされる。青年将校決起隊が官邸に乱入した五・一五事件である。
歴史上の出来事が教科書から飛び出てくるのはこんな瞬間だ。余話で肉付けされ、ぐっと身近に感じられるからである。
日々を綴る新聞の紙面も同じ効果を持っている。いまはそれと気づかなくても、時間の経過と共にはっきりと浮かび上がってくる。それが「時代」だ。
10年ほど前、年配読者が「東京日日」(毎日新聞)の古新聞を幾つか届けてくれた。「戦争に関係する出来事を父親が保存してました。この先いつまでも手元においておけないので」という事情で、地元紙を頼ってくれたのがありがたかった。
開いた紙面が1936年3月5日の群馬版で「桐中チーム意気軒昂」の見出しで、春の甲子園大会に臨む桐中特集が組まれていた。「桐中野球史上かつてない内容の充実と力の優秀を確信されている」と、市民の期待は大きかった。彼らが第一黄金期の準優勝メンバーである。
しかしこの日の紙面に浮かれた気分は微塵も見られない。裏面の大半は数日前に発生した青年将校のクーデター二・二六事件の顛末で占められていた。
といっても事件については戒厳令司令部談があるだけで、新聞の論評などは一切ない。
桐中メンバーは騒乱の余韻が覚めやらぬ中を一路甲子園へと向かった。これがつまり、桐生の二・二六事件余話である。
五・一五事件で日本の政党内閣は終わりを告げた。二・二六事件が契機となり、軍部の暴走は誰も止められなくなった。
同じ立場にいて、憐れみの心を持ちながらも、歩み寄ることをせずにそれぞれの主張だけで意地を通す。そうやって寛容さを忘れているうちに、世の中ががんじがらめになり、人の目を恐れながら言いたいことも言えなくなっていった。その歴史に学んできたはずの現代である。
新しい憲法とそれに基づく制度の整備で教育、暮らし、職業は変わり、豊かにもなった。
歴史に学んだ。それは事実である。しかし、あの時代に誰もが感じた息苦しさがいまは解消されたかといえば、はっきりそうだとは言えないもどかしさが戦前回顧には常につきまとう。
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