「何かが起きて、連絡が取れないときは家から一番近い避難場所に集合しよう」。母は毎年この時期になると語りかけてくる。7年がたった▼東日本大震災の発生時はまだ高校生だった。授業中に発生した大きな揺れ、テレビの中継、再会した母の安堵の表情が思い浮かぶ▼テレビや新聞が相次いで「震災を忘れない」と東日本大震災を追憶し、被災地の復興を伝えている。希望が持てる内容も多いが、よみがえる記憶に苦しむ人もいる。被災地のこの7年間は忘れることのできない、途切れることのない険しい道のりだったことを思い知らされる▼震災後、私の生活は数カ月ほどで元に戻った。もちろん忘れてはいけないと戒めもしたが、震災7年の特集報道にふれ、知らず薄らいでいたと気付く場面も増えた。それが私の7年でもある▼ただ母の表情は毎年変わらない。家族を守りたいという思いから、教訓を得ようと気を引き締めて画面を見つめている。それは思い出しているのではなく、刻み込んでいるようだった▼その母の姿に見習いたい。次の災害への教訓とするために、何度も刻み込んでおくべきことは何か。家族との連絡手段はあるか、避難場所は把握しているか。改めて見つめたい。(大)
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