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社会の欠陥を見つめる

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 吉川英治文化賞受賞者(1976年)の鈴木セイさんには生涯掲げ続けた理念があった。「社会の欠陥を見つめる」である。

 「日本に医療へき地があるとすればそれは重症心身障害者施設です」と68年、榛名山麓にはんなさわらび学園を開設した。

 桐生市境野町出身。女学校を卒業後、結核を患う女工の境遇に心を砕き、クリスチャンの彼女は保養所開設を決意する。

 桐生で実現したかったが、それがかなわず、榛名町へ。38年のことだ。活動を後押ししてくれた桐生人は多い。保養所の役割を正しく周知してもらうための巡回にいつも同行し、検診を受け持ってくれたのが桐生の医師前原勝樹さんである。そして戦後、スウェーデンの福祉施設で重症障害児に出会い、新たに進むべき道として学園創設を志したセイさんを応援してくれたのも同郷の医師たちだった。

 セイさんのお話を伺うために、記者が学園を訪ねた時期は世がバブル景気へ向かい始めたころである。だれもが先を急ぎ、浮き足立っていたあのころに、セイさんは落ち着いた物腰で「せっかくだから、きょうはゆっくり子どもたちと触れ合ってくださいな」と、入所者のもとに案内してくれ、一緒に食事をする時間も用意してくれた。

 隣にきたのは車いすの子。スプーンは使えるのだが、口に運んでくる途中で口が先に閉じてしまい、自分では何度やってもこぼれてしまう。「介護はどうしても必要です。でも、彼らの必死に生きようとするこの姿こそが、私たちに大切なことを教えてくれているんですよ」と。

 寝たきりで何の感情も示さないような子の顔が家族がきたとたんに変化する。医学では説明できない物語がここにはたくさんあるのだと、ほぼ一日、いろいろ伺った話がきのうのことのように思い出されるのである。

 私たちはいまも日々、障害を持つ人から多くのことを学んでいる。みどり市の重症児者施設を「希望の家」と名づけた故矢野亨さんの精神を知れば、それに心から共感し、これは万人の思いだと信じることもできた。

 相模原市の障害者施設で26日に起きた殺傷事件に接し、戦慄し、揺れているのは私たちのその心だ。あまりに身勝手な動機と気の毒な被害者と家族。だからこそセイさんの言葉を思う。

 容疑者の凶行を未然に止められなかった社会の中に、きっと見据えるべきものがある。
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