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折り合いの文化

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 桐生のえびす講が始まったのは20世紀初頭である。110年の時を重ね、いまや、商売繁盛をはじめとした諸々の御利益を求めて、近在からたくさんの人がやってくる祭りに成長した。

 露店で買い求めた縁起物のお宝はそれぞれの家に収まりどころがある。家内安全の札が並ぶ神棚だったり、鴨居だったり、家具の上であったり。仏壇と同居というケースも見たことがある。そして、年が改まれば縁起だるまも新たに仲間入りしてくるといった日常である。

 森羅万象に八百万の神がいる私たちの国である。太陽に手を合わせ、月を拝み、大地に祈って、巨樹や石に一礼する。病気が治るとお参りし、人探しや縁結びに御利益があると知れば通い、言い伝えを大事にして禁忌を犯さず、六曜などの縁起を担ぎ、てるてる坊主に晴れを感謝したり、「桐生市史別巻」によれば、イヌやネコ探しの願掛けをする稲荷様まであるという。

 また、道場や競技場やプールでひと汗かいて、一礼して去っていく人がいる。そういう姿を見てけげんそうな顔をする人はまずいない。それがこの国だ。

 言い伝えや習わしばかりでは息苦しいが、そのあたりの付き合い方には適当な距離感や緩やかさもあって、さまざまな宗教行事にも鷹揚だし、むしろ積極的に取り込んで楽しんでいるふうだ。節操がないという声もあるけれど、これはおそらく、長い歴史のなかで苦労の経験を積みながら、折り合いをつけ、互いの生き方を尊重してきた結果だろう。チェスでなく将棋を発展させてきた日本の文化は、すみ分けの知恵であると、こんなふうに思うのである。

 世界各地で起きるテロ。犯罪行為として、国々が協力して取り締まらなくてはならないことは論をまたないが、一方で、こうした敵対関係の背景となっている根深い宗教対立に関しては、近代国家の枠組みや論理ではもはや根本的な解決策を導き出すことはできないから、いまこそ宗教の指導的立場の人々が語り合って英知を絞るべきだとする識者が増えてきた。

 かつて市史別巻の編集に携わった知人は、思想研究の過程で「孔子もキリストも説いていることは同じだ。もちろん他の宗教も」と語っていた。人を思いやり、折り合いをつけながら自分自身を貫いていく。その心のありようを導き出していけるのはやはり文化の力だろう。
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