裁判の仕組みについて、いつも考えることがある。訴えた側と訴えられた側、つまり利害関係渦中の当事者たちは、多くの場合、本人どうしで直接言い争うのではなく、弁護士や検察官など、いわば代理人を介して自らの言い分を述べ合うスタイルをとる▼当事者どうしが言い争えば、どうしても感情の衝突が生まれる。それぞれの言い分から感情の要素をいったんそぎ落とすために、代理人が当事者の言い分に耳を貸し、要件を洗い出し、代理人どうしで論争をする。感情を遠ざけるための知恵なのだろう▼こうした仕組みをうまく機能させるには、国家という大きな力の存在が不可欠なのだろうが、それでも、当事者どうしの感情による衝突を回避する仕組みそのものは、いろいろな場面でもっと活用できないものだろうかと、思わずにはいられない▼パリの同時テロで、多くの命が奪われた。大統領は「戦争状態にある」と宣言し、テロリストの掃討に出ている。当事者が感情的になるのは仕方ない。親しい人を失った悲しみに同情もする。一方で、感情の衝突はさらなる不幸を招く▼敵か味方か。2色に染め上げられない、もう一つの色がないのかと、思わずにいられない。(け)
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